地区:長崎県島原市 廃止区間:島原外港〜加津佐/35.3km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気→内燃
島原半島の東岸に沿って南端の加津佐まで達していた島原鉄道。昭和中旬の大水害や雲仙普賢岳噴火による被害を克服し、全線を通じて運行を続けてきたが、平成に入り収支の厳しい島原以南はついに廃止されてしまった。廃止後十年ほど経過した2018年時点でも跡地利用は進まず、ほぼ全線にわたり路盤が放置されている。大正 | 11(1922) - | 4/ | 22 | 口之津鉄道 | 開業 |
昭和 | 3(1928) - | 3/ | 1 | 〃 | 全通 |
18(1943) - | 8/ | 13 | 島原鉄道に合併 | ||
平成 | 20(2008) - | 4/ | 1 | 〃 島原外港〜加津佐 | 廃止 |
A | 現在の島原鉄道終点島原外港(A参照)の先には、今もレールが数百メートルつながっている(B参照)。留置線にでも使われていたのかもしれない。 その後は放置された路盤が続き、踏切跡や橋梁跡(C参照)がそのまま残されている。藪地もあればバラストが残された区間もある。 |
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18年3月 |
B | C | |||
18年3月 | 18年3月 |
秩父が浦(D参照)は雲仙普賢岳の災害後に位置が移動され、比較的新しいホーム跡が残されている。ここからしばらくは災害対策として高架化が実施された区間に入り、高架橋の下には以前の築堤も一部残されている。 | D | ||
18年3月 |
E | 安徳(E参照)も高架駅に変わった駅跡がそっくり姿をとどめ、路盤にはバラストがきれいに続いている。 | ||
18年3月 |
駅の先にはトラス橋が二本連続する。北側は土石流対策としてつくられた水無川導流堤に、南側はその源流ともなる水無川(F参照)に架けられている。当線の中でトラス橋はこの区間のみとなる。 川を渡ると築堤で徐々に高度を下げ地平に降りるが、やはり路盤は放置状態が続く。 |
F | ||
18年3月 |
G | 瀬野深江(G参照)にもホーム跡が残る。線路跡の一部は農作業に利用され、農道状態の箇所も出てくる半面、入り込めないほどの藪地もある。 | ||
18年3月 |
深江(H参照)は相対式ホーム、駅舎が原形をとどめ、駅名表示も描かれたまま。駅の先は自動車乗り入れ可能な未舗装路状態から、路面は徐々に荒れて行く。 深江川にはスルーガーダー橋(I参照)、その先二箇所に橋桁付きの橋梁(J・K参照)が残されている。 |
H | ||
18年3月 |
I | J | |||
18年3月 | 18年4月 |
K | 路盤跡は農作業等に利用される区間は手入れされ、それ以外は放置といった状態が続く。一部で埋まったままの枕木を見つけることも出来る。 布津新田(L参照)はホームが半分残り、半分は更地となっている。続く布津(M参照)には相対式ホームと駅舎、さらに東側の農協倉庫に貨物ホームらしき擁壁も認められる。 |
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18年3月 |
L | M | |||
18年3月 | 18年4月 |
地形の関係からなのか、この付近まで進むと小橋梁(N・O・P・R・S参照)が目立つようになってくる。しかも、すべて橋桁を伴っているのはやや驚きだ。 | N | ||
18年4月 |
O | P | |||
18年4月 | 18年4月 |
Q | 途中のトンネル型跨線橋(Q参照)や、国道251号線を越える跨道橋も現役の姿のままだ。また島原鉄道による、線路跡への立入禁止看板を初めて目にすることもできた。 | ||
18年4月 |
R | S | |||
18年4月 | 18年4月 |
堂崎(T参照)にもホーム跡と待合所が残るものの、路盤側は荒れ放題でごみも散乱する。なお駅前には堂崎尋常小学校跡の石碑が立つ。この後も小橋梁(U・V参照)が多く見られ、若干食傷気味とならざるを得ない。 | T | ||
18年4月 |
U | V | |||
18年4月 | 18年4月 |
W | 蒲河(W参照)はホーム、待合室、自転車置き場が現役当時の姿をとどめている。 蒲河川(X参照)を越えた先の一車線道路に、今も踏切標識(Y参照)が立てられている。ただ実際の踏切位置とは大きく離れているため、モニュメントとして飾られたのかもしれない。 |
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18年4月 |
X | Y | |||
18年4月 | 18年4月 |
そのままショッピングセンターの裏手を抜けると、相対式ホームを持つ有家(Z参照)に着く。従前からバスターミナルを兼務していたが、鉄道廃止後はその大きな駅舎をバス専用の営業所として使用している。 | Z | ||
18年4月 |
AA | ここからの線路跡内に、極々狭いコンクリート舗装が現れる。埋設された水路管の保護目的のようだが、歩行や自転車で走るには十分な設備だ。 ただし、橋梁箇所(AA・AB・AF参照)では水路管がむき出しになり、渡ることができないのはやや残念なところ。一部には道板も置かれているが、ごく少数にとどまる。 |
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18年4月 |
有家川橋梁(AC参照)は、保線用通路を利用して今も川を渡ることができ、その先には数カ所の踏切跡(AD参照)や、警報器(AE参照)、遮断機も見受けられる。 | AB | ||
18年4月 |
AC | AD | |||
18年4月 | 18年4月 |
AE | AF | |||
18年4月 | 18年4月 |
AG | 次の西有家(AG参照)もやはりホームと駅舎が残され、ここは珍しく線路跡にロープが張られ、立ち入りが制限されている。 | ||
18年4月 |
駅を出ると国道251号線の南側を併走し、途中に2スパン橋梁(AH参照)、トンネル状の跨線橋(AI参照)、小橋梁(AJ参照)と続く。 | AH | ||
18年4月 |
AI | AJ | |||
18年4月 | 18年4月 |
AK | AL | |||
18年4月 | 18年4月 |
AM | AN | |||
18年4月 | 18年4月 |
AO | AP | |||
18年4月 | 18年4月 |
AQ | 北有馬(AQ参照)に残された駅舎内には、今も時刻表が掲示されている。ここで水路用のコンクリート舗装が終了し、しばらくは農道状態を続けるが、やがて作業用に使用される区間は手入れされ、それ以外は放置といった以前の状態に戻ってしまう。 | ||
18年4月 |
プレートガーダー橋では最長の有馬川橋梁(AR参照)にも、保線用のグレーチングが併設されている。 続く常光寺前(AS参照)、浦田観音(AT参照)にもホームと待合室が揃っている。 |
AR | ||
18年4月 |
AS | AT | |||
18年4月 | 18年4月 |
AU | AV | |||
18年4月 | 18年4月 |
AW | 世界遺産への登録間近な原城跡に近い、原城(AW参照)。やはり相対式ホームと駅舎が当時のままたたずんでいる。この先には五ヶ所の橋梁跡(AX・AY・AZ・BA参照)を確認でき、駅西側の田町川は珍しいスルーガーダー橋となっている。 | ||
18年4月 |
AX | AY | |||
18年4月 | 18年4月 |
AZ | BA | |||
18年4月 | 18年4月 |
有馬吉川(BB参照)の島式ホーム両脇には、作業車両と思われる走行跡が刻まれ、そのまま線路跡を転用した未舗装路へと続いていく。道路は工事車両の通行が目的のようで、途中の橋梁も橋桁は補強された仮設構造に変えられている。 | BB | ||
18年4月 |
BC | その後小さな峠を越えると再び国道251号線に並び、道路脇には跨道橋を含め三ヶ所の橋梁(BC・BD・BE参照)を見つけることができる。 | ||
18年4月 |
BD | BE | |||
18年4月 | 18年4月 |
しばらく併走した国道から北に別れると、廃止区間では唯一の宮崎鼻トンネル(BF参照)へと進む。外から見ると路面状態は良さそうだったが、中は漏水のため泥沼状で、さらに出口側には雑木等も加わり、通り抜けに大変な労力を要した。 | BF | ||
18年4月 |
BG | トンネル西方の東川橋(BG参照)は、珍しく橋桁が外されている。道路側を通行する車両の高さ制限を解除する目的と考えられ、確認した範囲内では桁が撤去された唯一の例となる。一見、跨道橋のようにも見えるが、道路の下に川が流れる二重構造を採用している。 | ||
18年4月 |
東大屋(BH参照)の先には橋梁が三ヶ所(BI・BJ・BK参照)残され、相変わらずワンスパンの小橋梁が多い。 | BH | ||
18年4月 |
BI | BJ | |||
18年4月 | 18年4月 |
BK | 路盤も放置された箇所が多いが、大きな雑木もなく、一定の周期で人の手が入っていることをうかがわせる。また一部には車のわだちも刻まれている。 | ||
18年4月 |
再度、国道に接近すると口之津(BL参照)に到着する。同社が運航する天草行フェリー乗り場の真正面に、駅が設けられていた。既に駅舎は撤去され、ホーム跡を含めてバス車庫に再利用されている。 | BL | ||
18年4月 |
BM | 駅西側の鉄橋(BM参照)は柵で囲われ、立ち入りは出来ない。 続く白浜海水浴場前(BN参照)から先、線路跡は海岸沿いの林に同化してしまうため、国道に再接近するまでの間、ルートの追跡は難しくなる。ただし国道との並走区間に入ると、当時の橋梁(BO参照)を見つけることもできる。 |
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18年4月 |
BN | BO | |||
18年4月 | 18年4月 |
終点加津佐(BP参照)はホームと駅舎を残し、空き地となった構内にレールを敷設すれば、今にも鉄道が復活しそうな雰囲気だ。前浜海水浴場に隣接し、行楽客には便利な場所に位置していたためか、国道側に設けられたバス停は、同名ではなく加津佐海水浴場前とされている。 | BP | ||
18年4月 |
BQ | 水無川右岸堤防沿いにDL(BQ参照)が保存され、案内板もあるが、保存状態はあまりよくない。 | ||
18年4月 |
1/50000 | 島原 | 口之津 | 三角 | |||||
1/25000 | 島原 | [H6修正] | 雲仙 | [H6修正] | 須川 | [S60修正] | 口之津 | [S60修正] |