(旧)佐世保鉄道を訪ねて
廃止鉄道ノート九州 減速進行


  地区:長崎県佐世保市  軌間:762mm単線  動力:蒸気
区間:上佐世保〜佐々(14.6km)左石〜柚木(4.1km)実盛谷〜相浦(2.8km)四ッ指〜臼ノ浦(3.1km)佐々〜世知原(11.9km)
相浦川沿いに点在する中小の炭砿。この石炭搬出を主目的として佐世保軽便鉄道が開業した。同じく、佐々川沿いの石炭を搬出するために開業した関西採炭線。のちに両線は合併して輸送にあたったが、国鉄伊佐線の延長ルートに重なることから国有化され、改軌工事を受けて大型車両が入線した。昭和後期に石炭産業が斜陽化すると、貨物輸送が主体の支線は相次いで廃止され、本線側も第三セクタ-化され現在に至っている。

略史

明治 31(1898) - 6/ 27  関西採炭 専用鉄道 開業
36(1903) - 4/ 2     松浦炭坑に譲渡
大正 9(1920) - 3/ 27  佐世保軽便鉄道 開業
12(1923) - 12/ 26      佐世保鉄道に改称
昭和 7(1932) -  松浦炭坑、岡本彦馬に移管
8(1933) - 10/ 24  佐世保鉄道 岡本彦馬専用鉄道を譲受
11(1936) - 10/ 1      国有化
63(1988) - 4/ 1  松浦鉄道として第三セクター化

路線図


廃線跡現況

−本線−

A 佐世保市街地に乗り入れることができず、北のはずれに始発駅上佐世保(写真A)を構えた佐世保軽便鉄道。当然市内への延伸計画もあったが、日の目を見ることはなかった。教会と、隣接する幼稚園一体がその跡地となる。
19年4月
B
19年4月
北に向けて出発すると、すぐ後継路線の松浦鉄道に合流する。国有化後の松浦線を受け継ぐ第三セクターだ。しばらくは同一ルートを進み、山の田(写真B)で東に分離する。直後の佐世保川左岸堤防には、石積橋台(写真C)が残される。
対岸で両者は位置を入替え、西側に出た佐世保鉄道側は一車線道路に転換される。小さな峠越え(写真D)に急カーブが含まれるため、難所であったことが偲ばれる。松浦鉄道側はここをトンネルで抜ける。

C
19年4月
D
19年4月

E
24年3月
サミット後の連続下り勾配が終了した道路は、一旦現在の泉福寺駅西側に並ぶ。同所の小橋梁(写真E)は東側に石積の橋台が用いられることから、鉄道橋を道路向けに拡幅改修の上、再利用したと考えられる。
F
19年4月
この北方に位置した初代泉福寺(写真F)は地形図に記載がなく、前後駅からの距離計測と、当時の接続道路を考慮して場所を判断した。さらに相浦川を越え、左急カーブで向きを変え始めた途端、県道151号線にぶつかり転用道路は一旦終了する。
G
19年4月
やや飛んで、カーブ終了地点から再び一車線道路として姿を現し、そのまま初代左石(写真G)まで続く。現在駅の南西付近が佐世保鉄道の駅跡に相当し、運炭を主力とする柚木線との接続駅にもなっていた。
H
24年3月
西に向かう路線は駅を出た直後に松浦鉄道(写真H)と重なり、しばらくは同一ルートを進む。地形図からは現皆瀬駅付近で若干の分離が認められ、北側の生活道(写真I)を旧線ルートと推定した。
初代皆瀬(写真J)は皆瀬郵便局の北奥にあたり、今も松浦鉄道沿いに空き地が広がる。

I
19年4月
J
19年4月

K
19年4月
石炭搬出拠点のひとつ中里側線(写真K)はホッパーを備え、索道で運ばれた石炭を貨車に積替えていた。線路脇にコンクリート構造物を認めるものの、当時の設備跡なのか判断が難しい。ヤードは西方に広がっていたと思われ、背後にはボタ山も控える。
この先、小さな右カーブで西に向きを戻すと新旧両線が分離する。同所の水路で見つけた石積擁壁(写真L)は、その形状から旧線側の橋台跡である可能性がかなり高い。 L
19年4月
M ここからの路盤は二車線の市道(写真M)に転用される。おそらく中里側線のヤードが大きく広がり、その北縁を松浦線が利用し、南縁となる佐世保鉄道本線側を道路に転用したと推察する。
19年4月
市道はT字交差点に突き当って終了し、その先の民家と公民館が初代中里(写真N)の駅跡に相当する。軽便とはいえ、構内は運炭鉄道らしい広がりが見られる。 N
19年4月
O
19年4月
この先、松浦鉄道側は相浦川を越えて左岸に移るが、旧線は人家のない山沿いの右岸を、細い未舗装路(写真O)として南下する。直後に越える四反田川橋梁(写真P)も、当時の石積橋台が道路用のコンクリート桁を支える。
相浦方面への分岐駅森実谷(写真Q)は空き地となり、19年時点では荒れ放題の様相を呈する。

P
24年3月
Q
19年4月

駅から路盤らしき跡も続くが、すぐに途切れ、北西方向にあった森実谷トンネルにはたどり着けない。西九州道建設時に地形が変えられ、トンネルも埋められてしまったためだ。出口側も坑口は高速道の盛土に埋没し、やや距離を置いた地点から、線路跡を転用した未舗装路(写真R)が始まる。 R
19年4月
S
19年4月
途中に橋梁(写真S)が残され、写真での判別は難しいが、肉眼では後方に当時の橋台を確認できる。プレートガーダーも見えるが、こちらは何時架けられたものか不明だ。
T
19年4月
林道といってもいいような道は、やがて国道204号線にぶつかって終了する。ここで線路跡も一旦消えるが、左カーブで南西に向きを変えると再び一車線道路(写真T)として姿を現す。
U
19年4月
道路は真申川の右岸沿いを走り、途中から県道139号線に変わると、やがて松浦鉄道に合流する。その手前に置かれた初代真申(写真U)は地形図に記載がなく、距離計測により水浦バス停付近とまで絞り込んだが、正確な場所は未だ把めていない。
V
24年3月
しばらく新旧両線は同一ルートを進み、その途中に設けられた小浦は現、旧(写真V)で大きく位置が異なる。初代側の線路脇に大きな石材が複数転がり、確率は低そうだがホーム残痕の可能性もないとは言えない。
W
19年4月
木場川を渡った後に旧線側は西へと別れ、直後の左カーブ内に臼ノ浦方面への分岐駅四ッ指(写真W)が設けらていた。しかし道路整備等で跡地を追えず、現地での情報収集も不発に終わったため、地形図からおおよその位置を把握するにとどめた。なお駅名は佐世保鉄道側の勘違い、あるいは創作らしく、国有化後に本来の四ッ井樋[よついび]に戻されている。
X
19年4月
駅を出ると佐々川の左岸を北上する。開業時は松浦炭坑専用鉄道との単線並列区間で、その線路跡は嵩上げされた堤防と東隣の側道(写真X)に取り込まれた可能性が高い。
Y
19年4月
さらに県道18号線をくぐると再度現線に合流し、そのまま佐々(写真Y)に滑り込む。主要駅として広い敷地を抱えていたが、石炭輸送なきあとはかなり規模を縮小している。また開業時の旧駅は構内の北端に位置し、現駅とは若干のずれを生じている。

−柚木線−

Z
19年4月
左石から分岐し東に向う柚木線。国有化後も同名で呼ばれたが水害で廃止され、松浦鉄道に引き継がれることはなかった。線路跡の大半は遊歩道(写真Z)に変わり、歩行者専用の標識や車止はあるものの、地元車両の通行は容認されているようだ。
AA
19年4月
道なりに進むと、重石(写真AA)の駅跡につくられた池野公園に突き当たる。以前は西寄りの桜の木付近にホームが残っていたとの話を聞いたが、あくまでも国鉄肥前池野駅としての遺構で、佐世保時代の情報は得られなかった。
AB
19年4月
公園の先も歩行者道(写真AB)は続き、一旦平行する市道と交差してその南側に位置を変える。途中の小橋梁は鉄道橋の再利用が目立つものの、すべて改軌後の設備のようだ。
AC
19年4月
相浦川の右岸沿いを走る道は、やがてその支流、高尾川を渡る。ここで歩行者橋の北側に石積橋台(写真AC)を見つける。旧線時代の遺構の可能性が高く、改軌時のルート変更が幸いし、現在までその姿をとどめたと考えられる。土砂崩れが影響したのではないかとの話も聞いたが、確証は把めていない。
AD
19年4月
近くに設けられていた貨物駅高尾は地形図に記載がなく、それらしき痕跡も見当たらないため場所の特定をあきらめたが、上記橋台が駅構内の側線用であった可能性も捨てきれない。
終点柚木(写真AD)跡には公営アパートや公民館が建ち、出炭に備えた広い構内をうかがわせる。

−相浦線−

AE
19年4月
ここは国有化後に別線が建設され、改軌されることなく廃止された区間となる。ただし当時の線名がはっきりせず、「相浦線」名はあくまで推測による。開業時期が早く、本線の一部として扱われていた可能性もある。
森実谷から別れた路線は、相浦川右岸の舗装路(写真AE)に転換され、下流側へと向かう。
AF
24年3月
途中、左手に望む「相浦川の飛び石」は江戸時代から続く橋の前身ともいえる構築物で、置き石で川を渡るという珍しい体験ができる。

相浦の集落に入った直後の小橋梁(写真AF)は、桁が道路用に換装されたものの、橋台はやはり鉄道時代のままだ。
AG
19年4月
道なりに進み、道路沿いの家並みが増え始めると、警察官舎が目印の初代上相浦(写真AG)に至る。
AH
19年4月
その後、右急カーブで相浦川から離れ、小さな峠を切通(写真AH)で抜ける。鉄道時代はトンネルが掘削され、廃止後もしばらく放置されていたようだが、道路建設時に開削されている。
AI
19年4月
さらに逆カーブで向きを南に変えると、道路は突然右に折れてしまう。その突き当りに開業時の終点、初代相浦(写真AI)が置かれていた。しかし松浦線や道路建設によって痕跡は消され、地元でも正確な情報が集まらず、地形図から県道139号線直下付近と推定するにとどめた。石炭の海運中継点でもあったため、当時の海岸線に沿った荷降ろし線が駅の南方までつながっていたようだ。

−臼ノ浦線−

AJ
19年4月
四ッ指から分岐する支線だが、主力貨物の石炭を海上輸送へ引き継ぐメインルートとなっていたため、国有化後も同名の路線として活用された。
本線からの分岐直後に渡る佐々川には、今も左岸側の橋台跡(写真AJ)が二箇所残されている。北側(写真上)が改軌後の国鉄線で、南側が佐世保鉄道線にあたる。
AK
24年3月
対岸の空地付近が黒石(写真AK)となり、駅の先で国鉄線を転換した市道に吸収される。ここから新旧両路線は同一の経路をだどり、藪地や民家が建ち並ぶ区間を抜ける。その後、県道139号線を経て二車線道路(写真AL)へと移る。
次の大悲観(写真AM)は旧版地形図で大悲観公園のグランド付近に印され、やはり痕跡は見つからないが、むしろその地名の由来に興味を惹かれてしまう。

AL
19年4月
AM
19年4月

AN
19年4月
徐々に南へと向きを変えた路線が港湾沿いを進むと、やがて終点の初代臼ノ浦(写真AN)に到着する。鉄道から海運への石炭中継を目的に開設され、広い構内を有していたことは間違いないが、国有化後に大きく改修されたと考えられ、旧駅の設備がどの程度であったのか、現状から想像することは難しい。
ちなみに改軌後の国鉄駅は遠く離れた集落内に置かれ、廃止後は公民館として利用される。

−世知原線−

AO
24年3月
本線の佐々から北につながる路線で、しばらくは松浦鉄道とルートを共にする。今は無き野寄(写真AO)は地形図に記載が無く、距離計測によりおおよその位置を判断した。次の猪立山信号所も設置個所は判然としないが、佐々町郷土史には同所で客扱いをしたと記載されている。
二代目神田駅に近づくと、その手前から旧線が右手に分離する。改軌時に放棄された区間でもある。残された廃線跡は空き地を抜け、民家裏を走り、ここに短い路盤と煉瓦造りの橋台(写真AP)を認める。 AP
19年4月
AQ さらに一旦民家に取込まれたのち、二車線道路との交差部から当時の築堤(写真AQ)が姿を現す。
19年4月
途中、橋梁が二箇所連続し、南側の橋台はコンクリート製だが先方の河川橋(写真AR)は鉄道用と思われる煉瓦造りで、共にコンクリート桁が載せられて車の通行を可能にしている。 AR
19年4月
AS
24年3月
橋を渡った先の初代神田(写真AS)はやはり地形図に記載がなく、駅間距離と勾配を考慮しつつ、見当をつけたのが川添山丘陵の小さなサミット付近となる。平坦地が確保され、駅跡らしい広がりも認めらるが、アクセス路がないのがやや気がかりな点だ。
AT
19年4月
駅の手前から転用道路は未舗装となり、やがて獣道状態(写真AT)から藪地へと順次変化する。と同時に北側から松浦鉄道が接近し、新旧両線はここで合流する。
AU
24年3月
吉井(写真AU)は新旧で若干のずれが認められる。現駅構内のやや東方に置かれていたのが初代駅で、入口は南側の市道に向けられていたようだ。
両線はここで再び分離し、旧線側は佐々川に合わせて北に屈曲する。さらに一旦松浦線と交差した後、今度は既に廃止となった国鉄世知原線と軌を一にする。
東に向かう線路跡はまず生活道に利用され、続いて自転車道(写真AV)へと変化し、一部沿線には桜並木も形成される。ただし専用道の標識はなく、車止の有無も様々だ。 AV
19年4月
AW
19年4月
途中の水路は国鉄時代の橋梁を再活用した箇所が多いものの、踊瀬川橋(写真AW)のアーチ部には微かに補強の形跡が認められ、佐世保鉄道開業時に建設したものを、改軌時に改修した可能性も考えられる。
AX
19年4月
同じく改軌と同時に廃止された御橋観音(写真AX)は地形図に記載がなく、現地での情報収集にも失敗したため、前後駅からの距離計測によりおおよその位置を把握するにとどめた。続く祝橋(写真AY)にホーム跡、路木場川にはデッキガーダー橋が残されるものの、共に国鉄時代の置き土産となる。
ここまで世知原線の大半を占めた自転車道は、最終的に松浦病院(写真AZ)にぶつかって終了する。

AY
19年4月
AG
19年4月

BA
19年4月
鉄道側はそのまま病院内を通り抜け、二車線の市道を斜めに横切り、躍進の泉公園に飛び込む。ここから南東にかけてが終点の世知原(写真BA)となる。石炭の搬出拠点駅として開設されたため大きな構内を有していたが、19年時点では既に住宅が隙間なく建ち並び、昔日の面影をしのぶことは難しくなっている。

参考資料

  1. 鉄道ファン通巻289・290号/国鉄狭軌軽便線/臼井茂信 著
  2. 郷土研究6・7号/軽便鉄道(跡を歩いて)/宮本淑子 著/佐世保市郷土研究所

参考地形図

1/50000   佐世保 [昭7鉄補]   伊万里
1/25000   楠久 [昭7鉄補]   蔵宿 [大13測図]   江迎 [大13測図]   佐世保北部 [昭7鉄補]
  楠泊 [昭7鉄補]

お断り    ↑ページtop
最終更新日2024-4/12  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
転載禁止 Copyright (C) 2019 pyoco3 All Rights Reserved.