地区:福岡県甘木市 区間:上田主丸~秋月/16.2km 軌間:914mm/単線 動力:蒸気
大正初期に開業した地元資本の蒸気鉄道で、社名の通り筑前と筑後を結んでいた。軌道条例に基づいているが、道路上に敷設された区間はごくわずかで、大半が専用軌道上を走っていた。補助金が決められ規制も少ない軽便鉄道法に拠らなかったのは、不思議というほかない。
なおここでは取り上げないが、筑豊地区への延伸も計画され、上山田線の臼井駅に接続する上礁井~飯田間/2.2kmが先行開業されていた。
路線図
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略史
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大正 |
1(1912) - |
9/ |
8 |
両筑軌道 |
開業 |
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2(1913) - |
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〃 |
全通 |
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14(1925) - |
4/ |
27 |
新両筑軌道に譲渡 |
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昭和 |
6(1931) - |
5/ |
12 |
両筑軌道に改称 |
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11(1936) - |
9/ |
14 |
両筑産業に改称 |
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13(1938) - |
12/ |
27 |
〃 軌道線 |
廃止 |
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廃線跡現況
北側の終端駅秋月(写真A)は、国道322号線沿いの倉庫から畑にかけてと言われている。扇状の区画を持ち、蒸気鉄道の運行に必要な各施設を備えていたのは間違いないが、その詳細は把握できていない。
駅を出た路線は区画整理の済んだ田圃を抜けたのち、当地の主要河川小石原川(写真B)を渡る。橋梁の遺構が残され、一部は川底に崩落した姿を晒している。コンクリート製だが内部に鉄筋は認められず、技術的にはまだまだ聡明期の建設であったことがよくわかる。
川の先でリサイクル業者の敷地を抜けると、里道(写真C)が現れる。ここが軌道のルートに一致するが、獣害対策の柵で囲われ、また雑草も深く立ち入ることは難しい。
そのまま緩やかな右カーブを終えると、国道322号線に合流する。ここからの国道は線路敷を転用して建設され、車にとって走りやすい道だが、鉄道の痕跡は何も残されていない。
最初の十字路付近が女男石[めおといし](写真D)と思われるものの、地形図に記載はなく、場所はあくまで推測でしかない。また同所のバス停は夫婦の漢字を使っている。
千手橋も橋のたもとに同名バス停があるものの、やはり地形図に記載はなく、軌道の駅を踏襲したのかは不明だ。
次の下渕(写真E)は園田橋の下流側となり、バス停とは若干位置がずれているようでもある。
さらに下って安川橋の北で国道と別れ、小石原川の左岸堤防道路(写真F)へと移る。駅は橋の前後にあったと推測するのみ。
大型台風の翌日にあたり、地元での聞き込みが思うに任せなかったことも痛手となった。
川沿いにしばらく進んだ後、堤防道路から左に離れ、住宅地内を抜けたのち再び国道322号線に合流(写真G)する。大塚はこの付近に置かれていたはずだが、残念ながらおおよその位置さえ掴み切れなかった。
国道はやがて朝倉軌道を擁する同386号線と交差(写真H)する。両筑軌道はここで左折し、朝倉軌道と併走しはじめる。朝倉郡地図によると北側が両筑、南側が朝倉で、次の甘木(写真I)も現在のバスターミナル付近に並んで設けられていた。
駅の東方で国道上の朝倉線と分かれ、再び南へと向きを変える。分岐直後の道路南脇に七日町(写真J)が位置した。
甘木の市街地に飲み込まれた水町、三福小路は地形図に記載はないが、朝倉郡地図によると前者は法泉寺の西隣、後者は三福町交差点の北西を指し示している。
密集地を抜けると変則六差路が現れ、ここからは旧県道(写真K)の北脇に沿って進む。
左手の朝倉厚生病院を過ぎると、路線は道路から右に離れていく。妙海のあった地区だが、やはり正確な場所は判然としない。
その後、民家や駐車場を抜けて県道33号線と鋭角に交差し、越えた先が来春(写真L)となる。
ここからは区画整理された農地や住宅地内を進むため、ルート上を直接たどることは不可能となってしまう。この一画で一木を過ぎたのち、立石郵便局付近で再び県道と位置を入れ替え、その東隣を併走しはじめる。線路跡は、おそらく道路の拡幅に利用されたものと思われる。
そのまま道なりに進み、大分道を南に越えた地点が鳩胸(写真M)となる。
続く小田(写真N)には同名のバス停が設けられ、ここを駅跡と考えてよさそうだ。
この先で一旦県道の西奥にルートを移し、痕跡を消したまま佐田川へと向かう。河川改修で何も残らない川を渡ると、再び県道の東隣へ戻る。先程までと同様、道路に吸収されたと思われるが、現地で確認は取れていない。
鎌崎からはほぼ一直線で進み、最初の信号交差点手前に位置したのが林田(写真O)。道路に若干の余地が広がり、同名のバス停も設置されている。
桂川を越えた先の中村も、やはりバス停付近かと思われる。
洪水による木橋の崩落以降、乗り継ぎの暫定的な終点となっていた筑後川(写真P)。橋につながる築堤が延びていたはずだが、今はすべて削られ、平らな農地に変わっている。川の左岸(写真Q)に設置されていたと思われる仮設駅も、やはり痕跡は認められない。
駅の南は耕地整理された農地に飲み込まれるが、その一角に斜めに走る農道(写真R)を見つける。これが軌道跡に相当する。
さらに集落の中で民家脇をすり抜け、県道81号線の南方に位置する立野(写真S)に至る。現地で線路跡の教示は得られたものの、駅に関する情報は集めることができなかった。
一本南側の生活道沿いには民家の石垣擁壁が続き、中に一部だけ布積(写真T)された箇所がある。ここが両筑軌道のルートに一致することから、道路を越えていた跨道橋の橋台跡と考えてよさそうだ。
その後は再び県道33号線と交差し、東側に移る。ただし今度は道路に隣接するのではなく、やや奥を走ることになり、跡地の大半は沿道の民家や企業の敷地内に取り込まれている。
途中、国道210号線の北側にコンクリ-トの小橋梁(写真U)を見つける。絶対とは言えないが、この石積橋台も鉄道橋の再利用である可能性が高そうだ。
さらに市街地へと進み、左に曲ると一車線の市道に合流し、最初の十字交差点付近が桜町(写真V)となる。
当時の地図を見ると、駅の西では線路の南側、東は北側にそれぞれ道路が描かれている。つまり、線路用地の一部は、廃止後の道路拡幅に利用されたと考えるのが合理的だろう。
西に向かう路線は、駅の東方で市道から北に離れ一旦市街地に入り込むが、一画を越えるとルート上に細い路地(写真W)が現れる。軌道敷の一部もしくは側道がそのまま残されたものと考える。
路地を過ぎ、続く農地と田主丸小学校を抜け、その先で県道210号線に合流する。ここが起点となる田主丸(写真X)で、県道上を走る筑後軌道との接続駅でもある。
但し筑後側の駅名は上田主丸となっており、乗換での混乱はなかったのか、過去の話とはいえ気になる点ではある。
参考地形図
1/50000 |
甘木 |
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1/25000 |
甘木 |
[T15測図] |
田主丸 |
[T15測図] |
No18・239・251・266に記帳いただきました。
制作公開日2020-11/20 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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