地区:大分県津久見市 区間:津久見市内 軌間:610mm/複線 廃止:S56 (1981)
レール幅からはナローと呼ばれる範疇に入るが連想されるのんびりとした雰囲気には程遠く、20両ほどの鉱車をDLで一気に牽引し、まさに小型弾丸列車と呼んでもいいような運行だった。輸送効率も良かったのか、トラック置き換わることもなく昭和後期まで活躍したが、今はベルトコンベアにその座を奪われてしまった。A | 船積桟橋(写真A)から延びる路線跡は舗装路に転用され、複線であったことを示すような道路幅を持っている。 | ||
17年5月 |
しばらくは青江川に沿って走るが、市道橋の下をくぐった後は川沿いの空き地(写真B)に変わり、そのまま堤防上を進む。防塵あるいは防音対策のためか、線路上に屋根が設置されていた区間でもある。 付近の用地幅はかなり狭く、ここだけ単線であった可能性も考えられるが、現地で確認を取ることはできなかった。 |
B | ||
17年5月 |
C | しばらく進むと跡地は再び複線幅に広がり、川に沿って左カーブを描いたのち、日豊本線(写真C)と市道を連続してくぐる。 | ||
17年5月 |
さらに右カーブで住宅地に入り込むと、線路跡は一旦民家や道路に利用され、その先で青江川を渡る。川には今も橋梁(写真D)が残され、パイプラインの支持に利用されている。基礎のケーソンは複線用だが、橋脚はなぜか単線分しか残されていない。また当時の写真では 7基の橋脚を認めるが、これも 3箇所ほど間引きされ、なんとも不可思議な姿を見せている。 | D | ||
17年5月 |
E | 橋の先はスレートの倉庫(写真E)に突き当たる。列車の防音、防塵対策として設けられていた、遮蔽トンネルを再利用したものと思われる。 | ||
17年5月 |
平行する国道217号線沿いには、レールを使用した杭(写真F)を見つけることもできる。 しばらく空き地を進んだのち国道の下をアンダークロスし、その後は日鉄鉱業の専用道路(写真G)となって、南西の事業所(写真H)まで続く。構内の様子は正門前から観察するほか手立てがなく、鉄道の面影を見つけ出すことは不可能だった。 |
F | ||
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G | H | |||
17年5月 | 17年5月 |
1/50000 | 臼杵 | |
1/25000 | 津久見 | [S48改測] |