三井三池鉄道を訪ねて

廃止鉄道ノート九州・沖縄  減速進行

 地区:福岡県大牟田市 区間:大牟田市 軌間:1067mm 動力:電気

炭坑節で有名な九州の三池炭坑。石炭輸送のために敷設された鉄道が旅客営業も始めたが、やがて石炭産業の衰退とともに再び貨物輸送に専念することとなり、徐々にその距離を縮めていった。
この旅客営業時代の運行形態が今ひとつ把握できない。専用鉄道に戻ったあと三池港〜万田間、三池港〜平井間に従業員用の旅客列車が運行されていたことは確かだが、 地方鉄道時代すべての線に旅客列車が走ったのか、または一部のみだったのか、残念ながら正確な資料を見つけられなかった。
現在もまだ一部が専用線として運行されており、過去の鉄道への仲間入を果したわけではないが、その将来はけっして明るいものではない。


 略史

明治 24 (1891) 三池炭鉱専用線 開業
昭和 39 (1964) - 8/ 11 地方鉄道に変更、三池鉄道となる
48 (1973) - 8/ 1 専用鉄道に再変更

 路線図

* 地図上にマウスポインターを置くと三井三池鉄道を表示します


 廃線跡現況

本線

A 北の起点はレールが撤去されつつある三池浜(A参照)


今は駐車場などに転換されているが、この先更に各方面へ専用線が延び、一部は線路跡が放置されたまま残っている。
97年1月
この中のひとつ、北へ向う専用線には堂面川を渡る橋脚跡(B参照)が今も手直しされ再利用されている。 B
03年1月
C 三池浜を南東に出発しJR線をオーバークロス、続いて旭町からの支線と合流したのち宮浦に到着する。
この駅付近だけが今でも専用線として唯一、三池鉄道のレールが残された部分。いや専用線というより、むしろ構内軌道と呼ぶにふさわしい規模だ。
03年1月
線路は駅の南数百メートルで途切れ、再び放置された路盤が目に飛込んでくる。


この南で勝立支線と別れたあと県道3号線と交差(C参照)、更に掘割りとなった路盤は宮原廃坑跡(D参照)をかすめて進み、今も橋梁を残す諏訪川(E参照)と万田廃抗との間にあったのが万田
D
03年1月
E 今は荒れ地となっていて訪れた日は雨のため中に入り込めなかったが、丹念に調べれば痕跡が発見できるかもしれない。


再び掘割りとなった線路跡は数百メートルで妙見に達する。ここからは上空に高圧線が伴い、鉄塔がレール跡をまたいで何カ所もそびえ立つ。
この鉄塔がある限り、跡地がどんなに荒れ果て様とも場所の確認は容易なはず。
03年1月
三池浜を出発した三池鉄道は大牟田市街地の東外周に沿って大きく半周し、向きを180度変え真西に方向を向ける。

これがちょうど原万田(F参照)のあたりだ。この駅は国道208号線沿い、ユニクロなどの集まったSCの横に延びる築堤上にある。
また平井に向う玉名支線もここから別れていた。
F
97年1月
G 国道に続いてJR線をオーバークロスすると、その西でJR荒尾駅からの連絡線と合流するが、この連絡線の跡地は宅地等に利用され、それらしき境界線も見つけることが出来る。


更に右カーブで徐々に方向を変え、西原(G参照)四ッ山を過ぎると終点の三池港
付近にはいまだ架線柱が建ち残っている。
97年1月
三池港からもやはり各方面へ枝線が延びていた。
その中の一つ西へ延びる線に少し前まで廃車体(H参照)が置去りにされていたが、現在はこれも撤去されている。
H
97年1月
I また本線と線路はつながっていないが、北側を流れる諏訪川にはナロー構内線の橋梁跡(I参照)が架線柱も含めて今だに健在で、目を楽しませてくれる。
03年1月

勝立支線

本線の宮浦から分かれた以後は民家や工場などに転用されていると推測されるが、線路跡の特定は難しい。分岐点付近には並走する道路から線路跡様のアーチ橋が見えるが、これは重要文化財の指定を受ける早鐘眼鏡橋と呼ばれる水路橋で、鉄道とのつながりはとくにない。

また終点の東谷付近は中央線のある道路で、ひばりヶ丘団地への進入路に転用されていると思われる。駅跡は東谷団地前バス停または、その手前の自販機のある場所か。
残念ながら、この支線は鉄道の痕跡を何一つ発見できなかった。

玉名支線

原万田を東に出発し、本線から別れ、右にカーブを描き南に方向を変える。

このカーブはこぐ一部が生活道として再利用されるが、あとはほぼ当時の築堤(J参照)が原型を保ったままで残っている。


この築堤が再び東に向きを変えるカーブの途中にあるのが、大平(K参照)
旅客営業時代のホームはいまだに健在で、駅の南には橋梁なども残っている。
J
03年1月
K この先は廃線跡に平行して舗装道路が延びるが、線路跡はこの道路の横に空き地として残り、地元の人の駐車場のような形で利用されている。


次の宮内(L参照)にもホームが残るが、こちらは放置ではなく人の手により保存されている様子がうかがえる。
03年1月
廃線跡に並走する道路はここから少し幅員を広げ中央線の描かれる2車線道路となるが、大谷の手前で一旦途切れ廃線跡を覗くことは不可能となる。
三池鉄道の跡地はそのまま直進し、ゴルフ場の脇あたりを走っていた。一部はゴルフ場に組み込まれたかもしれない。

大谷付近の築堤は放置されたままの荒れ放題で、足を踏み入れることは不可能な状態。その先からはリゾート遊園地、三井グリーンランドの敷地内に取り込まれる。
終点平井付近はこのグリーンランドの駐車場などとして大規模に開発整地され、どこに駅があったか皆目見当がつかなくなっている。旧版地形図から判断するしか方法がない。
L
03年1月

この線は参考地形図には原万田支線との記述があり、また宮内駅跡の案内標識には緑ヶ丘線との紹介があるが、本文では参考資料から玉名支線の名称を借用した。
また、参考地形図には原万田からの分岐ではなく、JR荒尾駅から出発し、本線との接続がないまま終点まで線路が延びているように描かれている。開業時から変遷があったのは確かなようだ


一部に正式廃止前の写真を使用


 参考資料


 参考地形図

1/50000  大牟田 *[S34部修]    長洲 [S26応修]
1/25000  大牟田 *[S45測量]  荒尾 [S45測量]

 
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最終更新2014-10/14  無断転載禁止 Copyright (C) 2003 pyoco3 All Rights Reserved.