地区:栃木県大田原市 区間:西那須野〜那須小川/25.2km 軌間:1067mm/全線単線 動力:蒸気→内燃
地方都市で見かける官設鉄道と市街中心部を結ぶ、よくある中小鉄道の形態を取るが、実際には黒羽の奥地に広がる山林から杉、檜などの木材を搬出することが大きな目的だった。のちに他社との競争から那須小川まで線路を延ばしたが、那珂川を逆行するルートとなったため収支はともなわず早々に廃止されている。残された路線もやがて時代の波に飲み込まれ、その幕を下ろした。現在は関東自動車に合併し、バス事業を中心として発展を続けている。
略史
大正 |
7(1918)- |
4/ |
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東野鉄道 |
開業 |
昭和 |
14(1939)- |
6/ |
1 |
〃 黒羽〜那須小川 |
廃止 |
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43(1968)- |
12/ |
15 |
〃 全線 |
廃止 |
路線図
廃線跡現況
A |
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東北本線の東側に並んでいた、起点の西那須野(写真A)。新幹線の開業で駅周辺は大きく変貌している。
ここから北東方向に出発していた東野鉄道の跡地は、「ぽっぽ通」と命名された遊歩道として整備されている。 |
01年6月 |
国道400号線の下をくぐった後、90度以上の深い右カーブで南東に向きを変え、しばらく進むと乃木神社の玄関口となる乃木神社前(写真B)に至る。駅を模したモニュメントは参道東側につくらているが、地形図では西側に駅記号が描かれる。
大高前(写真C)は大田原高校の正門近くに位置するが、当初の駅名は成田山前とされていた。ここはモニュメントがその跡地を示し、特に待合室は当時の原型にかなり近づけて再現されている。
その先、県道53号線との交差点で遊歩道は終了し(写真D)、路盤跡は自動車も通行可能な二車線の舗装路に転換される。 |
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D |
01年6月 |
E |
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道路となった東野鉄道は南東方向に直線で進み、主要駅であった大田原(写真E)に到着する。跡地に建つ大型ショッピングセンターはその運営者が数度変更され、現在はドラッグストアが居を構える。 |
01年6月 |
駅を出て再び道路上を進むと、左に少し曲がったのち突如行く手を遮られる。ほんの数メートルの間だが龍泉寺の敷地に取り込まれている。廃線跡は更に数軒の民家の間を抜けるように空き地として残り、その先には神社下トンネル(写真F)が掘削されていた。以前は草刈りが定期的に実施されていたようだが、最近はそれも中止されたためか、ポータルは藪地の奥に隠されてしまった。 |
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F |
18年9月 |
G |
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トンネルを出た直後に渡る蛇尾川では、今も橋台(写真G)や橋脚の基礎が残されている。川を渡ると再び二車線の舗装路に転換され、北東方向へ延びていく。 |
01年6月 |
道路がゆるやかな右カーブを経て、ほぼ東に向いた地点に設けられていたのが中田原(写真H)となる。地形図に駅の記載はないが、1960年代の空中写真で信号交差点西側にホームと待合室らしき影を確認できる。 |
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H |
15年8月 |
I |
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鉄道跡を利用した道路は機械工場の北側を過ぎると右にカーブし、南東に向きを変える。その後ライスラインと呼ばれる国道461号線の旧道に並ぶと、今度は地元の生活道(写真I)として利用されはじめる。 |
01年6月 |
道はJAなすの金丸支所に突き当り、ここに金丸原(写真J)が設けられていた。現在JAとしての業務は閉鎖されATMのみの稼働だが、当時から北東角にあった農業倉庫等の関連施設が今も建並び、駅跡の雰囲気がかすかに残る。なお飛行場が隣接していた時代には、一日300トンの貨物取扱量を誇っていた。 |
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J |
01年6月
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駅の東方は一旦未舗装の農道(写真K)となり、左カーブで東に向きを変えた後は再び二車線道路に転用される。
白旗城址前(写真L)は信号交差点角にある直売所の東寄りと考えられるものの、駅に接していた南北の道路が区画整理により若干西に移動したため、正確な位置の判定は難しい。
M |
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道路上を東に進むと軽い掘割りの中で下り勾配となり、更に右カーブで徐々に向きを変える。と同時に、右手に東野バスの待機場、機関区跡のホームセンターと続き、対面のスーパー等を含め黒羽(写真M)は大きな構内を有する主要駅があったことが偲ばれる。ただ貨物ホームに直結していた農業倉庫、駅の象徴で鉄道廃止後も場所を変えて育成されたプラタナスの木は既に無く、また構内の南半分も現在工事中で今後もその姿を変えていくもの予想される。 |
01年6月 |
南に向きを変えた東野鉄道、ここから先は昭和前半に廃止された一次廃線区間となる。
駅を出た直後は空き地や宅地に転用された箇所も多いが、その先を横切る湯坂川にはいまだに橋台・橋脚(写真N)が残る。なぜか川底に降りる階段もついているのが面白い。更に続いて小さな橋梁跡を二箇所(写真O・P)見つけることが出来る。 |
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N |
01年6月
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O |
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P |
15年8月 |
15年8月 |
Q |
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線路跡は再び農地や空き地となり、国道461号線と交差したのちは一車線の舗装路(写真Q)に転換され南へと続く。しばらくすると一車線から二車線プラス歩道付きの快適な道路に変わり、道路脇の観光案内標識からは線路道と記載された名称が読みとれる。 |
01年6月
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全線の中で最後に開設された狭原(写真R)はこの途中に置かれていたと思われるが、駅を記した地図はなく、前後駅からの距離計測と当時の接続道路を考慮して推測したに過ぎない。
ほぼ直線で続く道路上に位置した湯津上(写真S)。農機具店の裏側にあたり、以前は北側にホーム跡らしき構造物も残っていたが、道路の拡幅によって現在はそれも消滅している。
次の笠石前(写真T)も駅を記載した地図がなく、痕跡一つ見つけることも出来ない。かなり強引だが、廃止後20年以上過ぎた1963年の空中写真に駅跡らしい区画を確認できること、集落に近いこと、旧道に接していること、等から導水の石碑が建つあたりかと推測してみた
。
ここからは一車線の舗装路として更に南に向う。国道294号線にぶつかるとアンダーパスでやり過ごし、その先はなだらかな下り勾配となだらかな右カーブで掘割内(写真U)を進み、いかにも鉄道らしい雰囲気が漂う。
国道400号線と交差したのちは、JA施設前の佐良土(写真V)に滑り込む。東への道が当時の駅前道路に相当し、西側は鉄道廃止後に新たに延伸されたもの。交差点南にはホーム跡が残り、北側にも給水に使用されたと思われる井戸跡を確認できる。
駅を出ると短い橋梁が二箇所連続していた。北側は小川を越えるもので今も橋台(写真W)が残り、その上には塩原ダム佐良土警報局のサイレンが設けられている。南側は跨道橋を兼ね、中間に橋脚が一基建てられていたが、こちらは前後の築堤と共に全てきれいに撤去されている。
その先で当地の主要河川、那珂川へ注ぎ込む箒川に突き当たる。右岸には当時の橋台(写真X)が姿を見せ、橋脚の基礎部分も水の中から顔をのぞかせている。現在西側に国道の道路橋を建設中で、右岸側は東野鉄道の跡地がそのルートにあてられる。
県道285号線と交差後は再び二車線の道路(写真Y)に転換され、ほぼ一直線に続いていく。
道なりに南下すると小川中学校の手前で東に曲がるが、線路跡はそのままあぜ道となり真っ直ぐ校内へ消える。
終点那須小川(写真Z)の跡地は廃止後無償で市に譲渡され、今は中学校の敷地に組込まれている。貨物ホーム上にあったプラタナスの木が今も校庭に二本残され、駅前通りに相当する正門前の道路沿いには、東野鉄道を偲ぶモニュメントが設置されている。
参考資料
- 写真集東野鉄道の時代/大田原市那須与一伝承館
- RM LIBRARY13/東野物語/高井薫平 著/ネコ・パブリッシング
参考地形図
1/50000 |
大田原 |
[S4修正] |
塩原 |
[S33要修] |
喜連川 |
[S4二修] |
1/25000 |
西那須野 |
[該当無] |
大田原 |
[S23資修] |
佐久山 |
[該当無] |
No78に記帳いただきました。
最終更新日2024-9/16 *路線図は国土地理院地図に追記して作成*
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