地区:栃木県那須塩原市 区間:西那須野〜塩原口/14.6km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気→電気
明治 | 45(1912) - | 7/ | 10 | 塩原軌道 | 開業 |
大正 | 10(1921) - | 9/ | 23 | 塩原電車に改称 | |
昭和 | 7(1932) - | 1/ | 19 | 〃 | 休止 |
11(1936) - | 1/ | 14 | 〃 | 廃止 |
その後、国道が右に曲がると、軌道は直進側の市道上につながり、そのまま開業時の終点初代関谷(写真D)に到着する。現在はJAなすの塩原支店となる場所だ。新塩原への延伸時に移転された二代目(写真E)は、道を挟んだ対面に設けられていたようだ。
F | ![]() |
この先は山岳地の大きな高低差に挑むため道路上から外れ、専用軌道で南側を迂回する。一旦北西に向かう路線は民家や空き地内を抜け、さらに左急カーブで関谷川を越える。 右岸は雑草に覆われ遺構の確認はできないものの、左岸では橋台跡(写真F)の石積が姿を見せている。 |
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19年10月 |
川を越えた後は藪地に路盤を隠されるが、カーブ終了地点まで進むと、築堤らしき盛土と共に小さな暗渠跡(写真G)を認める。かなり崩れかけているものの、なんとか水の流れは確保されている。 | ![]() |
G | |
18年09月 |
H | ![]() |
ここからは山肌に沿って当時の路盤(写真H)が続き、その上には植林された樹木が育っている。しかし痩せた木が目立ち、素人目に見ても間伐が必要かと心配してしまう。 植林地の一画を越えると路面は徐々に荒れ始め、二度目の藪地に行く手を阻まれる。 |
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18年09月 |
藪の先は再び植林された路盤が現れ、続いて作業道のような荒れた道に変わる。さらに進むと分譲別荘地の塩原リッチランドに到達し、路面状態は改善される。未舗装ながら域内の通路(写真I)として利用されているようだ。 ただし道路脇に所有者を示す表示はあるものの、大半の区画は荒れ放題で、ごく一部に建つ別荘も利用されている気配はない。まさにバブル崩落を象徴するような景観を呈している。 |
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I | |
17年09月 |
J | ![]() |
南に進んでいた未舗装路は右急カーブで一気に反転し、その先は舗装路(写真J)へと変わる。この通りが分譲地のメインストリートのようだ。 緩やかな上り坂を進むと、左手にリッチランドの管理棟が見えてくる。だが、ここも閉鎖されたままで、ひと気はない。 |
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17年09月 |
道路はそのまま急勾配で国道400号線に駆け上がるが、鉄道側は管理棟の裏を抜け、再び植林された路盤が姿を見せる。一部には路面むき出しの区間(写真K)も混在する。 位置的には国道の南脇となるが、両者の高度にはかなりの差があるため、大きく仰ぎ見ながらの並走となる。 |
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K | |
18年09月 |
L | ![]() |
木立の間を進むと、すぐ入勝川(写真L)にぶつかる。川岸に大きな石が転がるが、橋台との関連を調べる術がないのは残念なところ。 川のやや先で、またもや行く手に藪地が立ちはばかる。しかしその距離は短く、すぐに当時の築堤へとつながる。ここは原形を保ったままの盛土に直接植林され、路面上や左右の法面から大木が伸びるといった、珍しい光景を見せてくれる。 |
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18年09月 |
植林地を過ぎると路盤はけもの道状に変わり、さらにコンクリートの大きな構造物が邪魔をする。ワイヤーを支えるアンカーらしく、南側の発電所関連施設と思われる。 これを越すと、入勝橋バス停が設けられたT字路(写真M)に出る。一時期、終点として新塩原が設けられていたようだが、痕跡は見つけられず、おおよその位置さえ掴めなかった。 |
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M | |
18年09月 |
N | ![]() |
塩原電車はそのまま国道脇を併走し、やがて合流する。 道路は左右へのカーブを数度繰り返したのち、やや長めの直線路に入るが、ここで鉄道側は右手に別れて専用軌道に戻る。道路側の勾配を避ける目的と考えられ、線路跡の一部は未舗装路(写真N)として残されている。 |
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17年09月 |
鉄道と道路の高さが同一となった地点で両者は再合流し、最後に大きく屈曲すると、終点の塩原口(写真O)に到着する。駅跡は現在、回顧園地の駐車場として利用されている。 目的とした塩原温泉はまだまだ遠く、駐車場入口には7q先と記された案内看板もある。乗客はここから馬車等に乗換えて先に進んだが、やはり不便であったことは否めず、バスとの競争に敗北する要因となった。 |
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O | |
17年09月 |
P | ![]() |
本来はここで終了となるが、当路線には一つ疑問が残されている。地形図の昭和 2年版と 4年版を比較し、終点及び手前の経路が異なる点だ。後者は前述のとおりだが、前者では国道上をそのまま進み、急勾配の手前で西脇に外れた地点を塩原口(写真P)としている。 実際にルート変更があったのか、あったとすれば、たかだか300m程の延長にどのような意味があったのか。この件に言及した資料は見つからず、残念ながら疑問点の解明は先送りとなってしまった。 |
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17年09月 |
1/50000 | ![]() |
[昭2鉄補/昭4修正] | ||
1/25000 | ![]() |
[該当無] | ![]() |
[該当無] |