大正 | 15(1926) - | 11/ | 25 | 九十九里軌道 | 開業 |
昭和 | 7(1932) - | 3/ | 24 | 九十九里鉄道に改称 | |
36(1961) - | 3/ | 1 | 〃 | 廃止 |
東金線との連絡駅東金(写真A)は、JR駅の東側に隣接して設けられていた。駅跡は駐輪場や駅前広場として利用されている。 北東に向かって出発した九十九里鉄道は、右カーブで南東に向きを変える。その路盤は既に市街地に飲み込まれ、痕跡は見つけられない。 |
A | ||
18年9月 |
B | カーブ終了地点で国道126号線と交差し、その後、線路跡は用水路に転用される。最初の停車駅堀上(写真B)もこの水路上に位置した。駅から先は北側に狭い舗装路が併走し、途中で水路の南側へ移り、また未舗装となったり、幅員が広くなったりと細かく変化する。そのまましばらく進み、本流となる真亀川に突き当ると、これに合流することにより用水路は終了する。 | ||
18年9月 |
川の先は放置された路盤が農地の中に続き、当線唯一の遺構といえる橋台跡(写真C)も姿を見せている。ただし下に流れていたはずの河川は既に跡形もなく消滅し、大規模な土地改良が実施されたことを物語っている。 | C | ||
18年9月 |
D | 路盤南側の側道が舗装路に変わると、線路跡は空き地状(写真D)となり、やや場違いとも取れるガス会社所有地の看板が立てられている。しかし柵などで立ち入りが禁止されているわけではなく、地元で駐車場代わりに利用されている。ガス管の埋設地として利用されているのかもしれない。 | ||
18年9月 |
空き地と舗装路は並行したまま進むが、やがて両者は合流し、道路側が九十九里鉄道の路盤上へと移る。県道が並行するため交通量は少なく、まさに生活道の名がふさわしい。 家徳(写真E)は交換駅らしく道路脇に空き地が広がり、駅跡の特定に役立つ。ここもガス会社の看板が目を引く。 |
E | ||
18年9月 |
F | 道路は緩い右カーブを描くと、未舗装路(写真F)に変わる。入口の大きな看板が行く手を阻むが、通行止とはならず車の轍も認められる。沿道にゴミ集積所が置かれていることから、その関連車両かもしれない。 | ||
18年9月 |
この先には藪地も一部存在するが、大半は通り抜け可能な状態が続く。 荒生(写真G)はその途中に設けられていた。道路脇に連続したコンクリート構造物が顔を出しているが、上部に削られたような跡があり他駅と形状が相違することから、ホーム跡と断定するには至らなかった。 |
G | ||
18年9月 |
H | 駅を出ると路面から徐々に轍が消え、雑草に行く手を阻まれ(写真H)、やがて細屋敷川にぶつかって行き止まる。川に橋梁の痕跡は見当たらない。 | ||
18年9月 |
川の先から「きどうみち」と名付けられた遊歩道(写真I)が始まる。東金市から九十九里町内に入った途端、跡地の利用方法が大きく異なるのは面白い。なお実際の市町境は、川のやや西側に引かれている。 | I | ||
18年9月 |
J | 遊歩道に変わって最初の駅が西(写真J)。休憩所も兼用しているようだ。周辺は道路を含めた大規模な土地改良が実施され、県道123号線の東側に平行する生活道がわずかに残された旧道にあたり、この西側に接するように駅が設けられていた。 | ||
18年9月 |
1/50000 | 東金 | [S26応修] | ||
1/25000 | 上総片貝 | *[S2鉄補] | 東金 | [該当無] |