地区:神奈川県鎌倉市 区間:大船~ドリームランド/5.3km 軌間:跨座式/単線 動力:電気
大規模遊園、横浜ドリームランドへの来場者輸送を目的としてモノレールが建設された。同期の向ヶ丘遊園や姫路市営線が順調に運行を続ける中、当線のみ大きなトラブルを抱え、開業後1年強で休止に追い込まれしまった。その後一度も復活することはなく、平成に入って正式に廃線となった。
略史
昭和 |
41(1966) - |
5/ |
2 |
ドリーム交通 |
開業 |
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42(1967) - |
9/ |
24 |
〃 |
休止 |
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57(1982) - |
4/ |
1 |
ドリーム開発が譲受 |
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平成 |
15(2003) - |
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〃 |
廃止 |
路線図
廃線跡現況
JR駅とはやや離れていた始発の大船(写真A)。モノレールらしく高架駅だったが、跡地にはマンションが建設され当時の様子はうかがえない。
駅を出ると左カーブで柏尾川(写真B)を越えていた。ただし22年時点ではすべての支柱が撤去されているため、正確なルートをつかむことは難しい。
そのまま道路沿いの住宅地を横切り、林の中へと入り込む。しばらくして教会の脇をすり抜けたのち、散策路のような山道(写真C)が現れる。このフェンス北側に沿っていたはずだが、やはり痕跡は見つけられない。
さらに新興の住宅地に沿って進み、林や空き地、資材置き場などの上空を進んだ後、県道312号線と交差する。ただし正確なルートは追えないままだ。
小雀浄水場まで来ると、ようやく用地境界に沿ったと思われるフェンス(写真D)が現れ、延長線上には公園(写真E)が設けられている。
公園の西方に置かれていた小雀信号所(写真F)にも当時の境界線がよく残され、跡地は一部が住居となる他、大半は空き地として放置されていたが、22年時点では周りを背の高い金属塀で囲まれてしまった。
この先は農地、小公園、空き地などが続き、途中に現れる私道(写真G)がルートに重なる。モノレールの支柱は道の南側に建てられていたようだ。続く国道一号線の横断箇所(写真H)は東側にアパートが建ち、西側は遊戯店の建物の中に入り込んでしまう。
以降は住宅密集地の中に飛び込み、一部が空き地(写真I)として残されるものの、住居に組み込まれた箇所も多い。一般の鉄道に比べると確保すべき用地幅はかなり狭くて済んだが、中にはその幅ギリギリに建つアパート(写真J)も見受けられる。
住宅地を抜けた先に、資材置き場へつながる一本の未舗装路(写真K)が出てくる。この南側が跡地に相当すると聞いた。
その後はウイトリッヒの森に沿って進み、森林に同化した路線を直接たどることは難しい。次に確認が取れるのは森を抜け出た直後、やはり建設会社の資材置き場東縁(写真L)となる。
この北方では、住宅地の街路中央(写真M)に支柱が建てられていたことを聞いた。ただその痕跡は舗装によって消し去られ、一見しただででは判別できない。
さらに駐車場内(写真N)を大きなカーブで抜け、宇田川の左岸を併走する。堤防道路と沿線の住宅との隙間(写真O)が跡地となるが、今は各戸の駐車場などに利用されている。
川と若干離れる区間では、駐車場(写真P)となった場所に支柱があったことを聞いた。かなり狭い空間にもかかわらず、住宅の真横付近を通過していたとのこと。
この上流で宇田川を渡り、今度は道路建設により暗渠となった用水路の東側に移る。現在は既に住宅が建ち並ぶ。
さらに県道403号線との交差(写真Q)では道路中央に支柱が建てられ、その跡地が今も分離帯として残り、周りをガードレールで取り囲まれている。
県道を越えた先、ドリームハイツ交差点東の小さな樹木帯(写真R)が当時の路線に重なる。
ここからは再び住宅街に変わり、やがて駐車場に利用されはじめる。平行する道路から、相当な上り勾配だったことが偲ばれる。
続く横浜薬科大学駐車場の一角が終点ドリームランド(写真S)で、隣接する三階建ビルがドリームビルを名乗っている。また北側のバスターミナルには車庫も置かれていた。
輸送の目的でもあった横浜ドリームランドは、閉鎖後、俣野公園としてきれいに整備され、未だ荒れ地のまま放置される奈良ドリームランドと好対照をみせている。
参考地形図
1/50000 |
横浜 |
|
藤沢 |
|
1/25000 |
戸塚 |
[S41改測] |
藤沢 |
[S41改測] |
制作公開日2022-6/24 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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