善光寺白馬電鉄を訪ねて
廃止鉄道ノート北陸・甲信越 減速進行

 地区:長野県長野市  区間:南長野〜裾花口7.4km  軌間:1067mm単線  動力:内燃

社名が示すように長野市と白馬村を結ぶ目的で設立された鉄道。山岳部の険しい地形を通過するため建設は遅々として進まず、暫定の目的地である鬼無里にも程遠い中途半端な裾花口までの開通にとどまった。延伸を目指してトンネル掘削などの工事を引き続き進めたが、第二次世界大戦時の政策により、不要不急路線として休止されてしまった。戦後も復活を模索していたが、裾花川のダム建設により予定ルートが水没することとなり、正式な廃止に至った。鉄道がなくなった現在、社名を変更することなくトラックによる運送業を営んでいる。

略史

昭和 11(1936) - 11/ 16  善光寺白馬電鉄  開業
19(1944) - 1/ 11      休止
44(1969) - 7/ 9      廃止

路線図



廃線跡現況

A 始発駅の南長野(写真A)はトラックのターミナルに変身している。
国鉄長野駅とはやや離れていたため乗入れを要望していたが、最後までかなうことはなかった。
93年07月
駅の西で国道117号線の下を抜け、その跨線橋(写真B)が今も残る。写真右側が善光寺白馬電鉄の通過箇所となる。だだし18年時点では、東側は追加された歩道に隠され、西側はシャッターにより塞がれている。

この区間は、国鉄の専用側線に利用された時期もあった。
B
93年07月
C 国道をくぐると右急カーブで北に向きを変える。カーブ途中の倉庫には、今も善光寺白馬電鉄の社名看板(写真C)が掲げられている。
倉庫を抜けると一旦駐車場に利用されたのち、国道19号線と交差する。その南側に用水路の橋台(写真D)を見つけることが出来る。

国道の先は駐車場(写真E)や生活道、あるいは民家やビル等が交互に現れる。
93年07月

D E
93年07月
18年10月

最初の駅は山王小学校の西隣、築堤上に位置した山王(写真F)となる。フェンスでふさがれているものの、ホームへ上がる階段が今も健在だ。

また駅南側の跨線橋跡が市道沿いに残り、市街地で一番の遺構とも言えたが、残念ながら既に取壊されてしまった。
F
93年07月
G 小学校の先は駐車場となり、築堤東側の擁壁が一部姿を見せている。続いて公共施設の裏側を抜け、そのまま県庁の西脇をかすめる。ここからの線路跡は一車線道路に転換される。

妻科(写真G)はこの途中に設けられ、道路東側に若干の余地が広がる。
18年10月
北西に向かう線路跡は、一部に道路転用から外れる箇所があり、さらに斜め十字路の先からは道路の西脇に移る。

道路側はこの先でやや湾曲し、これが信濃善光寺(写真H)の駅構内に沿ったものと考えられる。交換可能駅でもあり、道路の形から大きな駅だったことが偲ばれる。
H
18年10月
I 駅を過ぎると、裾花川を二度横切る。東側の裾花第一号橋梁に痕跡はないが、西側の第二号橋梁では橋台、橋脚(写真I)が残り、国道406号線からも眺めることが出来る。

川を渡ると未舗装路(写真J)に変わる。当時は周囲を畑で囲まれ、その中に鉄道の築堤が延びていたと聞いたが、国道建設により一部で地形が変わったようだ。
道の突き当りが茂菅(写真K)で、畑の中にホームが埋っている。
93年07月

J K
18年10月 93年07月

駅の先も一部が農道として利用されるが、次第に放置された荒地へと変わり、やがて第一号トンネル(写真L)に行く手を阻まれる。長野側は外側からコンクリートで完全にふさがれ、裾花側は内部にコンクリートが詰められたため、かろうじてポータルを確認できる。 L
18年10月
M トンネルを抜けると再び荒地に戻る。線路沿いには鉄骨造りの廃屋や古いプレハブも建ち、オイルのにおいが鼻を突く。あまり知られていないが長野には小さな油田が点在し、いまだ石油の染み出す箇所もあるようで、ここもその一つかもしれない。

荒地は短区間で終了し、すぐ未舗装路(写真M)に合流する。
18年10月
そのまま左カーブで国道406号線をアンダーパスし、すぐに小さい沢を渡る(写真N)。橋桁は新しいコンクリート製に変わっているが、橋台は鉄道時代のものと考えられる。 N
18年10月
O 橋の先には第二号トンネル(写真O)の坑口が待ち構える。以前は車の轍も刻まれ、地元の作業道として利用されていたようだが、18年現在は柵で入口をふさがれ、立入は禁止されている。ただし直線トンネルでもあり、出口側を見通すことは可能だ。
93年07月
P
22年05月
第三号(写真P)は近づくことが困難で、裾花川対岸から遠望するのみとなる。北方には、支流の濁沢を越えていた対の橋台(写真Q)を見つけることもできる。肉眼での視認は容易だが、写真で判別しずらいのが難点だ。

さらに続いて二本の橋脚(写真R)がそびえる。地形の険しさを象徴するが如く、川を縦断して進む裾花第三号橋梁の可能性が高い。これに接続していた第四号トンネルは、既に坑口を確認することは難しい。

Q
22年05月
R
22年05月

S
18年10月
トンネル西方からは未舗装路が現れ、途中の達橋沢には道路橋(写真S)が架かる。プレートガーダ−橋だが、その下にやや小さめのガーダーが隠され、加えて内側にも橋台を備えるといった不思議な構造を持つ。

鉄道廃止後に架けられた道路橋を撤去せず、工事用の仮設桁を上乗せしただけといった状況だ。費用的に一番低く抑えられたのかもしれない。なお鉄道用と思われる東側の橋台は、邪魔になったのか真横に倒されている。
T
19年10月
橋梁のやや手前、本流の裾花川左岸にかなり風化の進んだ橋台(写真T)を見つけることができる。当初、川伝いに線路を延ばす予定で建設されたものの、その後トンネル掘削へと計画が変更され、そのまま放置されたといわれている。
橋台側面の角度を見ると、かなりの鋭角で川を横切ろうとしていたことがわかる。
U
18年10月
橋を過ぎ、一車線の舗装路と交差すると善光寺温泉(写真U)に着く。温泉といっても施設は一軒だけで、かなり大きかったようだが、廃業して長いのか跡地は荒れるに任されている。

施設の北西に位置した駅跡も、大半は藪地に変わっている。
V
18年10月
ここからは一車線の市道(写真V)として、裾花川左岸を上流に向かう。
W
18年10月
終点裾花口(写真W)は湯の瀬ダム管理所を過ぎ、道路が右手に折れた先となる。今は空き地が広がるのみで、その地形から見ても終着駅の雰囲気は一切感じ取れない。

ホーム跡が残されているものの、災害時のがれきやダム工事の残土等の投棄場所となったため地中深くに埋没し、探し出すのは不可能に近い、との話を地元で聞いた。

参考資料

  1. 思い出で包む善白鉄道/柏企画
  2. 鉄道ピクトリアル通巻148号/善光寺白馬電鉄/小林宇一郎・宮沢元和著・・・失われた鉄道・軌道を訪ねて

参考地形図

1/50000   長野 *[昭12二修]   戸隠 [該当無]
1/25000   長野 [該当無]   若槻 [該当無]

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