地区:石川県小松市 区間:新小松〜尾小屋/16.8km 軌間:762mm/単線 動力:蒸気→内燃
尾小屋鉱山の貨物輸送を目的として設立された鉄道。762mm軌間の軽便鉄道としては比較的遅くまで活躍した路線で、映画やドラマにも登場し、晩年は多くのファンを惹きつけていた。
略史
大正 |
8(1919) - |
11/ |
26 |
*正田順太郎鉄道 |
開業 |
* 合名会社横山鉱業部の尾小屋鉱山長 |
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9(1920) - |
6/ |
11 |
横山鉱業部 正田順太郎鉄道を譲受 |
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昭和 |
4(1929) - |
7/ |
2 |
尾小屋鉄道として独立 |
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52(1977) - |
3/ |
19 |
〃 |
当日を以て廃止 |
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路線図
廃線跡現況
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A |
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北陸本線小松駅からは二本の私鉄路線が延びていた。その一つ尾小屋鉄道の新小松(写真A)跡は駐車場として利用されてきたが、JR線の高架化および北陸新幹線の開通に伴う駅前整備により、当時の面影を偲ぶものは何も残されていない。 |
91年8月
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県道25号線を挟んだ南側の検車場跡(写真B)は、後継会社の小松バス営業所を経て、今は大半が新幹線用地に組み込まれてしまった。そのバス事業も北鉄グループの加賀温泉バスと合併したため、小松バスの名称は消えた。 |
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B |
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91年8月
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C |
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駅を出た路線は生活道に転換され、しばらく進んで左に曲がると旧国道8号線(写真C)と交差し、そのまま四車線の市道に合流する。パイパスが完成したといえども、今なお国道側の交通量は多い。 |
83年8月
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国道の先は歩行者道路(写真D)として供用された時期もあるが、今は全て市道の拡幅に利用され、見るべきものは何もない。道路上の西吉竹(写真E)、吉竹(写真F)各駅を過ぎた後、再び遊歩道が姿をみせていたが、こちらも既に二車線道路に変わってしまった。
道路がゆるやかな左カ-ブを描く地点で鉄道側は右に分離し、市道への転用は終了する。と同時に、小松加賀県民遊歩道と名付けられた歩行者専用道に変わる。
丘陵地に向かうため若干の上り勾配となり、憩いの森と名付けられた公園内に入ると、その園内通路を兼ねる。
遊園地前(写真G)は地形図に描かれた箇所に目標物はなく、当時の写真から位置を判断した。公園を抜けたのちは、歩行者専用道から自動車通行可能な舗装路へと変わる。ただ道幅に大きな変化は見られない。
小さなアップダウンとカーブを繰り返し、やがて白山神社の北西角に位置した花坂(写真H)に到着する。道路はここで左に折れ県道111号線に合流するが、尾小屋鉄道側は真っ直ぐ進み、県道脇の山腹にそのルートを移す。路盤は放置されて荒れるものの、廃止直後は通路として利用されていた雰囲気も漂う。
環境美化センター入り口付近から徐々に築堤(写真I)が姿を現わし、再び道路転換された後は、大野町交差点で県道の東側に出る。同所に設けられていた西大野(写真J)は、ちょうど瀧波神社の前にあたる。駅の南からは県道の東脇を進み、一部の路盤は道路に取り込まれたと思われる。
バス停が目印の大杉谷口(写真K)南で県道から別れ、左方を流れる梯川を渡る。
河川内には当時の橋梁(写真L)が残され、ガーダー上の枕木も放置されたまま朽ちるに任されている。対岸は既に雑木が生い茂り、線路跡を直接たどることは難しい。
路線はこれを抜けた先の農地内で左急カーブを描き、東に方向を変える。 |
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L |
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91年8月
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M |
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カーブ終了地点に位置した金野町[かねのまち](写真M)には、ホーム跡が顔をのぞかせている。跡地は未舗装路としてつながっていくが、獣害対策の柵に邪魔されて通り抜けは不可能となっている。 |
16年4月 |
東に向かっていた路線が右に曲がり山沿いから離れると、列車交換設備を持った金平(写真N)に着く。映画のワンシーンに使われた面影は既に消え去り、まさに寂しい限り。なお道路は舗装路に変わるが、東隣の空き地部分が実際の線路跡に相当する。 |
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N |
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83年8月
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道なりに進むと再び未舗装の一本道(写真O)となるが、やがて藪地に行く手を阻まれてしまう。その中に流れる光谷川には石積の橋台橋脚(写真P)が現存し、細い導水管も渡される。
川を越えるとしばらくは砂利道が続き、沢町の集落近くで舗装路に変わる。
沢(写真Q)は道路脇に小さなホーム跡が残され、廃止直後は鉄道路線の描かれた町内案内図(写真R)も掲げられていたが、現在は新しいものに切り替えられた。
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S |
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集落を抜けると再び未舗装路に変わり、農道として地元で利用されるようだ。途中に設置されていた塩原(写真S)は、取り付け道路も既に消え、正確な場所の特定は難しい。
そのまま南東に向かうと国道416号線に接近し、合流する。ここからの国道は線路跡を利用して造られたものの、南に向きを変える大カーブ付近では両者の半径が異なり、道路側はゆるやかな曲率に変更されている。 |
16年4月 |
道なりに進んだ後の波佐羅(写真T)で、鉄道側は未舗装路として再び国道から分離する。と同時に、またしても獣害避けの柵で道をふさがれ、迂回を強いられることになる。路線は郷谷川に沿いつつ上流に向かい、やがて舗装路(写真U)に変わると、ほどなく観音寺下[かながそ](写真V)に到着する。今もホーム跡を確認できるが、本来の姿からは徐々に崩れつつある。
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W |
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駅の先も転用道路は続き、左に小さく曲がると短い観音下トンネル(写真W)が現われる。内部は素堀のままで多少の漏水があるものの、崩落等の危険性は少なそうだ。ただし、ここも獣害対策の柵で封鎖され、気軽に入り込めないのがやや難点。 |
16年4月 |
トンネル出口側で小川に突き当たり、ここで道路は終了する。川の両岸には雑草に隠された橋台(写真X)を認めることができる。川を越えると路盤は放置され、周囲の雑木林と同化するため、その確認が困難となる。 |
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X |
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02年12月
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Y |
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次に線路跡が姿を見せるのは、尾小屋鉱山から流れ出る廃水処理用の沈殿池につながる郷谷川支流(写真Y)だ。同川に小橋梁が残され、桁は換装されたものの両岸の橋台は当時の原形を保つ。 |
16年4月 |
橋の南に置かれた倉谷口(写真Z)は定期的に人の手が入っているのか、何とか藪地化は免れている。ただし駅の南方は再び放置状態に戻り、足を踏み入れることはできず、郷谷川対岸の国道416号線から眺めるしか手だてはない。当然この区間に掘削されていた倉谷口トンネルにはたどり着けず、状態も不明のままだ。
長原集落手前の道路橋で右岸に渡ると、公園らしき広場横に当時の路盤が現れ、そのまま郷谷川を渡河するように南下する。同河川内に取り残された橋脚(写真AA)は、今も左岸側から遠望することが可能だ。
左岸に移った直後の長原(写真AB)は、生い茂る雑草の中から何とかホーム跡を確認できる。駅への進入路も一部残されるが、途中から雑草に覆われてしまう。
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AC |
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その後は西側を平行する国道に合流し、連続した勾配を登り、やがて終点の尾小屋(写真AC)に滑り込む。廃止後、長期に亘り駅舎や車両が展示保存されていたが、現在はその一部が放置状態で残るのみで、駅跡の雰囲気は完全に消滅してしまった。また路線廃止後に運行されていた小松バスも既に社名が変わり、小松から金平までの区間に短縮されている。 |
83年8月
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−保存車両−
小松市立ポッポ汽車展示館に保存された車両 |
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AD |
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16年4月 |
参考資料
- 鉄道ピクトリアル通巻212号/尾小屋鉄道/宮沢元和 著・・・私鉄車両めぐり
- ナローゲージモデリング/尾小屋鉄道/阿部敏幸 著/機芸出版社
- RM LIBRARY116/尾小屋鉄道/寺田裕一 著/ネコ・パブリッシング
参考地形図
1/50000 |
小松 |
[S35資修] |
鶴来 |
[S50修正] |
白峰 |
[S50修正] |
1/25000 |
小松 |
[S50修正] |
別宮 |
[S45修正] |
尾小屋 |
[S48修正] |
No260に記帳いただきました。
2024-6/3最終変更 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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