布引電気鉄道を訪ねて
廃止鉄道ノート北陸・甲信越 減速進行

 地区:長野県小諸市  区間:小諸〜島川原(*7.4km)  軌間:1067mm全線単線  動力:電気

明治後期から昭和の初期にかけて鉄道に対する夢や憧れ・期待感が世間に広がり、各地に敷設計画がわき上がっていた。もちろん大半はしっかりした収支計画を立てたのちに会社設立へと至ったが、中にはかなり無謀な例もあった。
布引電気鉄道もその無謀な範疇に仲間入りすると思われる小鉄道。何とか開業には漕ぎつけたものの現実の壁は厚く、収支の見通せない企業は消えざるを得なかった。電気料金未払からの運転休止、さらには免許取消を受けての廃止と、不名誉な末期を迎えている。

略史

大正 15(1926) - 12/ 1  布引電気鉄道  開業
昭和 9(1934) - 6/ 18     休止
11(1936) - 10/ 30     廃止

路線図


廃線跡現況

A かつての特急停車駅である信越線の小諸(A参照)。ここに乗入れていた佐久鉄道の隣が布引電気鉄道の出発点で、ホームも並んでいた。また駅施設も佐久鉄道の所有地を借用して建設されたものらしい。車庫も併設され、かなりの広さを誇ったと思われる構内だが、その痕跡を見つけることは出来ない。
今、信越線は、しなの鉄道に変り、佐久鉄道もJRの小海線となっている。確実に時代が移り変っていることを実感する。

北西に向って出発すると信越線と共に一気に勾配を下り始める。線路の改良によって高架になった信越線だが、その高架下付近を走っていたと思われる。
14年7月
小諸の市街地を抜けると左カーブで西に向きを変え、信越線から離れる。この先は2車線道路に転用され、千曲川支流の栃木川へと進む。痕跡でもないかと道路橋の下に足を運んでみると、なんとさらにもう一つの橋が架けられていた。と言っても鉄道とは何の関連もなく、地元の生活道だった。それにしても橋の二階建てとは何とも珍しくユニークだ。

すぐ西に中学校があるが、ここは鉄道廃止後に建設されている。造成時に鉄道の路盤はすべて消え、南に隣接する2車線道路は当時のルートと微妙に異なる。学校の南西角で旧道との踏切を越えると花川(B参照)。参考地形図に記載が無く、場所の特定は難しい。近くの商店で話を伺うが、残念ながら何も収穫を得ることは出来なかった。
B
14年7月
C この先は一車線の生活道路に転用され、いかにも鉄道跡といった風情で、緩やかな勾配、緩やかなカーブで続いていく。

一度小さく右に曲ったのち、こんどは大きな左カーブを描き南に向きを変えると押出(C参照)に着く。近年駅跡を示す案内表示が設けられ、電気鉄道では珍しいスイッチバック駅だったと説明されている。勾配途上の発進を緩和する目的より、東武伊香保線のように、連続下り勾配での暴走を避ける安全側線の意味合いが強かったのではないかと考える。
22年9月
余談だが、当時の地形図には集落の北に温泉が描かれていたが、最新の地図できれいに消えているのは何とも不思議。

さて両側に樹木が鬱そうと茂る舗装路を先に進むと、上空に県道153号線の近代的な橋梁が現れる。その下をくぐり抜けると千曲川の右岸に突き当って道が途切れる。
ここに架けられていたのが当路線最長の千曲川橋梁で、今も両岸に橋台が残り、また一部橋脚(D参照)も当時の姿をとどめている。
左岸を走る県道からも、その姿を見つけることが可能だ。
D
14年7月
E 川を渡った布引電気鉄道は県道40号線に合流し、ここからの県道は鉄道跡を拡幅転用したもので快適な2車線道路となっている。

布引観音の参道前に設置された布引(E参照)には、ホーム跡を見つけることが出来る。ここも行違設備を持つ停車場で、参拝客の利用が多く当線の主要駅となっていた。
ホームの延長線上と県道の向きにややずれを生じているが、道路建設時または千曲川の護岸工事期に農地の分断を避ける目的で換地されたと考えれば納得がいく。
14年7月
廃線跡はその後も県道上を西に進むが、沿線には民家も少なくまた交通量も少ないため、走行する車はみな快適に飛ばしている。布引観音温泉を越え、布下の集落を過ぎると布下(F参照)
停留所であったためか何の手掛りもなく、相変らず場所の特定が難しい。周囲の状況から独断と偏見で推測するしか手だてがない。

ひと気のほとんど無い中、偶然出会った地区の人に尋ねてみたが話がまったくかみ合わない。すっかり忘れ去られた存在なのかもしれない。
F
14年7月
G やや気落ちしながら更に西に進むと、道の駅「みまき」が現れる。この西側で県道に架けられた小相沢橋と平行する一車線の橋(G参照)を見つけることが出来るが、こちらが線路跡をトレースしている。
県道に昇格する前は、布下の集落から西が農道状の道路として活用されていたため、その名残として残っているもの。

ただ、すぐ県道に吸収され、北西にその向きを変える。
14年7月
終点島川原(H参照)は東京電力島川原発電所の東に位置し、現在は工事会社の資材置場に利用されている。集落からはやや標高の高い位置に設けられていたが、これは鹿曲川に沿って望月への延伸が計画されていたことに由来する。
駅から最短距離にある駅前商店(?)のご主人に伺うと、痕跡があるかもしれないとの話だったが、しばらく探し回ってもそれらしき遺構は見つけられなかった。代りに東電の境界杭が見つかった。過去には発電所付属のテニスコートになっていたとの情報もあり、今では東京電力の所有地なのだろう。

なお望月へ延伸線も一部では工事に着手されていたというが、目の前に広がる発電所導水管の回避方法も含め、資金面でかなり厳しかったことは容易に想像出来る。
H
14年7月

参考資料


参考地形図

1/50000   上田 [S4修正]   小諸 [S4修正]
1/25000   上田 [該当無]   車坂峠 [該当無]   丸子 [該当無]   小諸 [該当無]

 No147に記帳いただきました。
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最終更新2022-10/4 
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