蒲原鉄道を訪ねて


廃止鉄道ノート北陸・甲信越  減速進行

 地区:新潟県五泉市 区間:五泉〜加茂21.9km 軌間:1067mm単線 動力:電気

磐越線から取り残された村松町。地元有志が中心となって、省線に接続する蒲原鉄道が設立された。建設は村松を境として二度に分けられているが、廃止もやはり二度に分けて実施されている。全線の中でも五泉〜村松間は乗客の多い区間で、短区間ながら最後まで地域の貴重な足として頑張っていた。バス会社となった今も、地元ではかんてつと呼ばれ親しまれている。なお当初計画された川内からの鉱産物輸送や、三条まで延伸し新潟交通と手を組んだ大環状線構想は未達のままで終わっている。


 略史

大正 12 (1923) - 10/ 20 蒲原鉄道 開業
昭和 5 (1930) - 10/ 20    全通
60 (1985) - 3/ 31     村松〜加茂間 当日を以て廃止
平成 11 (1999) - 10/ 3     全線 当日を以て廃止

 路線図

* 地図上にマウスポインターを置くと蒲原鉄道を表示

 廃線跡現況

A JR磐越線に隣接し、共同駅の形態を取っていた始発の五泉(A参照)

駅舎は別だが、蒲原鉄道のホームに出るにはJRの跨線橋を通り、一旦JRホームに降りた後、構内の踏切を渡る必要があった。
00年8月
駅跡のホーム、レール等はすべて撤去され、地区の生活支援センター等に利用されている(B参照)

東に向いて出発した列車は、右急カーブで南に向きを変えていた。今その路盤は一車線の舗装路に転換されている。
B
00年8月
C しばらく進むと道路は終了し、空き地(C参照)に変わるが、消雪パイプ新設工事中の看板が掲げられ、工事終了後はそのまま道路になると思われる。
17年9月
空き地として続く線路跡は自動車学校の横で県道7号線に合流し、その南方に今泉(D参照)が設けられていた。

路盤跡を横目に見ながら県道を南に進むと、以前は田圃の中に保存車両を見つけることが出来た。道路に直角に、そして遠くからでも視認出来る見通しのよい場所にあり、通行人へのアピール度は絶大だったが、残念ながら既に撤去されている。
D
00年8月
E 未利用の跡地には踏切機器の基礎部分や特殊な形状を持つ溝橋(E参照)、あるいは丸まったバラストも所々で顔をのぞかせ、まだまだ鉄道のにおいが色濃く残る。

また一部にバス停の停車帯として利用された個所もある。
17年9月
更に南下して村松市街地に入ると、線路跡は一旦緑地帯を交えた歩道に変わったのち、すぐ村松(F参照)に到着する。本社事務所、車庫も備えた当鉄道の中心駅で、廃止時には終着駅として機能していた。

今も路線バスの待合室等に使用される駅舎は、本社棟と共に老朽化がかなり目立つ。
F
00年8月
G レールの取除かれた構内(G参照)は、バスの車庫を経てコンビニやドラッグストア、駐車場に変貌している。写真奥が車庫跡で、手前部分はホーム跡となる。
00年8月
駅を出ると急角度で西に向きを変え、県道7号線を越える。ここから先は廃止年度の早い一次廃線区間で、レールが消えてから既に30数余年が経過した。

県道までの間は歩道として利用され、県道交差後は元の所有者に返却された箇所が多く、あぜ道(H参照)や未舗装路、放置等と活用法は様々。その中に犬釘付きの枕木も確認することができる。
H
17年9月
I 西に向かう路線が左カーブで南寄りに向きを変えると、今度は二車線の舗装路に再利用され始める。途中、道路脇の城址公園に車両が保存されているものの、程度は悪く塗装の劣化も激しい。

再び左に曲がったのち、しばらくして国道290号線と交差する。この交差点北に位置したのが西村松(I参照)で、北東角地の三階建商店が駅舎跡となる。
ここからは両側に歩道を完備した、快適な二車線道路として続いていく。
17年9月
以前は交差する市道に接してホームが残っていた寺田(J参照)だが、残念ながら道路建設時に取り壊されてしまったようだ。

さらに直線で続く道は、駅の南から一般農道新田線と表示される。ただし交通量は極端に少なく、その幅員を持て余し気味だ。
J
93年7月
K 大蒲原(K参照)も放置されていたホーム跡はすでに消え、当時の駅前道路が位置特定の手掛かりとなるのみだ。
93年7月
駅を過ぎ、右カーブで向きを変えた後に、緩やかな上り勾配が現れる。この頂上付近で道路はやや左に曲がり、まっすぐ進む鉄道と別れる。

分岐部のみ藪地となるが、下り勾配(L参照)に入ると雑草に邪魔されつつも、何とかトレースは可能になる。
L
17年9月
M そのまま国道290号線の下をくぐり抜けると、線路跡は未舗装路として利用され始め、国道の西方には雑草に覆われた高松(M参照)のホーム跡を見つけることも出来る。

道路上を進み、ゆるやかな左カーブの終了地点で牧川を渡る。両岸に築堤が少し残るものの、雑草に覆われて橋梁跡は確認できない。
93年7月
続く二度目の牧川架橋部手前で、道は藪地に行く手を阻まれる。ただ藪の浅い地点で、三度目となる同河川の小さな橋梁(N参照)を見つけることが出来る。橋台は再利用されたようだが、桁は上部に鋼板が溶接されているため、当時のものか判断は難しい。

それにしてもこの牧川、国が管理する一級河川とは、にわかに信じがたいものがある。
N
17年9月
O 橋の南方からは未舗装路として再び鉄道跡をたどることが可能となり、途中には埋もれた枕木も散見される。

山あいに向かう路線は、やがて左カーブで道路から離れ始め、築堤で徐々に高度を上げる。路盤上には当時の丸いバラストも残され、枕木を乗せた小さな橋梁跡(O参照)も確認できる。四度目の牧川だ。
17年9月
土倉(P参照)は、築堤が国道290号線に突き当たる手前に位置し、今も雑草に覆われたホーム跡の一部が顔をのぞかせている。 P
93年7月
Q 駅南側の交差点には、旧国道を越えていた跨道橋の橋台(Q参照)が残る。

さらに右カーブで西に向きを変え、最後の牧川越えとなるが、放置された築堤には雑木が茂り、橋梁に近づくことさえできない。
15年9月
続いて短いトンネル(R参照)を抜ける。以前は西側坑口を確認することも出来たが、現在は背丈以上の雑草と路面状態の悪さに阻まれて、なんとかその存在を認識できる程度に変わってしまった。 R
93年7月
S その後、数百メートルで冬鳥越(S参照)に達する。この駅は蒲原鉄道が自ら開設したスキー場への乗客誘致を主目的とし、ゲレンデに隣接してホームが設けられていた。

なお西側には当時の車両が程度良く展示保存され、加茂市の指定文化財との説明も添えられている。
17年9月
駅の先に少し路盤が残されるが、すぐ林に吸収され線路跡をたどることは不可能となる。国道に迂回し長谷の集落まで進むと、北奥に当時の築堤(T参照)が姿を現す。ただ草刈り等の手が入るのは中心部のみで、前後は藪地のまま放置されている。

集落を過ぎると左手から未舗装路が近づき、やがて国道にぶつかる。この道が鉄道跡に相当し、短い区間が作業道として利用されている。
T
17年9月
U 国道を越えた後は、農地や空き地、資材置き場等を抜けて七谷(U参照)につながる。ここは駅舎とホームが今も健在。
傍を流れる川が牧川から加茂川へと変わり、水の流れも逆方向に変わる。両河川とも、信濃川へと流れ込む同一水系であるのは面白い。

駅の西は猿毛山の山裾に飲み込まれ、再び跡地のトレースは困難になる。しかし加茂川対岸からは連続した築堤を望むことができ、ルートの確認は可能となっている。
93年7月
この先は平行する道路も国道から県道9号線にバトンタッチされ、鉄道、道路、河川が山に囲まれた狭路を仲良く下っていく。

山裾を回り込み加茂川右岸に移った路線は、農道として利用され始める。路面には枕木が埋まっていたり、バラストが転がっていたり、あるいはマンホールもあったりとなかなか賑やかな道だ。途中の小さな橋梁跡(V参照)は、近年、上部に鋼板が溶接され、車も通行可能なように改修されている。
V
93年7月
W 農道をしばらく北上すると、やがて狭口(W参照)に到着する。一風変ったこの地名、七谷同様やはり地形からもたらされたものだろう。

一時期は資材置場として利用され、プレハブ小屋も設置されていた。今もここだけ通り抜け出来ず、未だホーム跡が残されている雰囲気を漂わせている。
93年7月
駅の先は再び未舗装路として続き、轍の確認できる区間や、一面が雑草に覆われた区間(X参照)が交互に現れる。
途中に見つけた小さなコンクリート橋は、鉄道時代の橋台を改修したように思われる。
X
17年9月
Y その後、大きな右カーブでやや北に向きを振ると、道路は一気に二車線の舗装路に変わる。道路脇にはスポーツ施設が建ち並び、その中の市民プール北側に駒岡(Y参照)が設けられていた。

ここからの道路は蒲原鉄道の跡地を拡幅転用したもので、線路跡らしいゆるやかな勾配や曲線を備えている。
93年7月
加茂市街地の東端に位置する東加茂(Z参照)。廃止後しばらくは風格ある駅舎が残されていたが、道路建設に伴って姿を消している。

なお現在も営業中の駅前商店は、店舗前に並べた自販機が主力となっているようだ。
Z
93年7月
AA 廃線跡を転用した道路は、さらに旧市街地北端に沿って延び、市営の温水プールまで続くが、その先は放置された築堤(AA参照)に代わる。

加茂農林高校の裏手を抜けるルートは途中にトンネルも掘削されていたが、今は藪に閉ざされ、足を踏み入れることは難しい。地元で確認をとっても、トンネルの現状を知る人は見つからなかった。
17年9月
路盤が再び姿を見せるのは、県道497号線との交差手前からで、かなり高めの築堤に続いて道路を跨ぐ鉄橋(AB参照)も設置されていた。

現在、橋桁はすでに撤去され、両側の橋台だけが残されている。
AB
93年7月
AC 跨道橋に続く陣ヶ峰(AC参照)はやはり高い位置にあったため、鉄道を利用するには築堤脇に設けられた階段を上る必要があった。
その階段とホーム跡がいまだ健在なのは嬉しい限り。
17年9月
駅の西側にも、信越本線と市道をまとめて越える跨線橋(AD参照)が架設されていた。この上路、下路を組み合わせたガーター桁も、取り外されて久しい。 AD
93年7月
AE 跨線橋の先は左急カーブで南に向きを変えると同時に、築堤の高さを徐々に下げる。その路盤の一部は宅地として利用され、続いて加茂川支流の大皆川を渡る(AE参照)

橋梁跡は今も枕木を載せたまま、当時の姿で残されている。ただ桁には上条川と記され、正確な河川名は把握できなかった。
16年9月
川を越え、木材会社の敷地を抜けてJR線に並び、加茂川を共同の橋梁(AF参照)で越える。こちらも4スパンのガーダー桁が残され、枕木もそのままだ。 AF
17年9月
AG 更に県道9号線をくぐり、終点加茂(AG参照)へと進入する。五泉同様、国鉄との共同駅で、書類上はこちらが起点となり、一次廃線後は本来の起点が消えてしまう珍しい状態が続いていた。

JR構内の西に広がる駅跡は、駐車場や駐輪場等に活用されている。
93年7月

 −保存車両
AH AI
15年9月 94年4月

 参考資料

  1. 鉄道ピクトリアル通巻128号/蒲原鉄道/瀬古竜雄 著 ・・・私鉄車両めぐり
  2. 走った運んだ77年/新潟日報事業社/村上宗之 著

 参考地形図

1/50000  新津 [S37修正]    加茂  
1/25000  村松 [S48修正]  加茂 [S48修正]  越後白山 [S48修正]

 
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