池田鉄道を訪ねて

廃止鉄道ノート北陸・甲信越  減速進行

 地区:長野県北安曇郡池田町 区間:安曇追分〜北池田6.9km 軌間:1067mm全線単線 動力:電気内燃

松本を起点とする信濃鉄道は池田の町をはずれて敷設された。そのため地元で鉄道への要望が高まり、高瀬川をはさんだ東岸に別途支線の形で池田鉄道が開通した。社名は異なるが経営的には信濃鉄道との関係が深かった。
その信濃鉄道は昭和12年国鉄に買収され大糸線の一部となったが、池田鉄道は買収から取残され、その時点で将来の命運が決した。


 路線図  略史

* 地図上にマウスポインターを置くと池田鉄道を表示します


大正 15 (1926) - 9/ 21 池田鉄道 開業
昭和 13 (1938) - 6/ 6   〃   廃止

 廃線跡現況

A 現在は大糸線となった信濃鉄道の安曇追分(A参照)がこの鉄道の始発駅で、車庫も併設されていた。両者の結びつきは強く、一体化された設備、管理であった思われる。

構内北東角には両端部のみのホーム跡が残され、地元で池田鉄道の遺構であると言い伝えられている。なお駅舎の反対側にスロープが付いているのは面白い。
14年7月
駅を出てすぐに右カーブで大きく向きを変え、高瀬川へと向う。橋梁は一時期道路橋に再利用されていたが、それも今は南側に架け替えが完了し、当時の痕跡を見つけることは出来ない。一部の橋脚が残ると言う話も地元で耳にしたが、すでに過去の話なのだろう。

川を越え数軒の民家の中を抜けると、小さな橋梁跡(B・C参照)を二箇所連続で発見する。両者で形状がやや異なるのは興味深い。
B
16年4月
C この先の路線跡は宅地と農地の中に消え、十日市も圃場整備により区画が変わり、農業用ビニールハウスの東付近との情報しか得られなかった。
平行する県道329号線沿いに駅跡の標柱も立てられているが、実際の位置とはやや離れている。また駅への進入路も今では判然としない。

ただその手前、二階建て民家の北側に設置された、家庭菜園用の小さなビニールハウスが鉄道の路盤に相当し、バラストもたまに出てきたとの話を聞いた。
16年4月
池田鉄道は痕跡の消えた田圃の中で北に進路を変え、田中の集落に達する。その集落内にある墓地の横に橋台(D参照)を見つけることが出来る。

やや北にも同じようなコンクリート構造物(E参照)が残るが、橋梁跡なのかそれ以外の目的物なのか不思議な構造をしている。
D
14年7月
E 地元で尋ねたところ両者とも鉄道の「ピア」跡だと教えて頂いた。久しぶりに聞いた名称に感激した。

また墓地の前、電柱が立つあたりに駅があったとの説明も受けたが、駅名の記憶もあやふやで、失礼ではあるが信憑性に疑問を持たざるをえなかった。機会があれば再調査してみようと思う。
14年7月
再び区画の整理された農地の中を進み、会染保育園の中を抜け、八幡神社の東を通り過ぎると会染(F参照)に着く。
明科への連絡線の分岐駅となる予定で、広い敷地を有する構内だったらしいが今はその雰囲気を感じることは出来ない。

ここにも地元教育委員会による標柱が民家の裏口に設置されている。この廃線跡は各駅毎に案内標柱が設置され、場所の特定が容易なのはありがたい。
F
14年7月
G 敷地内にホーム跡(G参照)がありそのまま北隣へと続いているが、隣は上手く建物の基礎として利用している。
廃止された鉄道のホーム跡を2軒の民家で共有するのは、全国的に見ても大変珍しい例といえる。

余談だが、写真は了承を得て撮影させて頂いた。
14年7月
駅の南、東西に走る生活道に面して当時の駅長官舎(H参照)が残っていることを、写真撮影のあい間に伺った。もちろん私鉄なので「官舎」ではなく「社宅」「宿舎」の間違いと思われるが、いまだに当時の姿をとどめていることにやや驚いた。

ここからは水路がすぐ西を流れ、鉄道の跡をたどる指針のひとつとなりそうだ。
道の駅池田の裏を通り、ほぼ真っ直ぐ北上すると多目的研修センターに着くが、この手前が柏木。池田町に合同する前の会染村役場に隣接していたことになる。
H
14年7月
I 路盤はしばらく県道51号線の西側を北上するが、JA大北とそれに続く精密機器の大きな工場を抜けるとS字カーブで県道を東に越える。
付近に痕跡は見られないが、その先で民間クリニックを過ぎると一車線の生活道が現れる。これが廃線跡で、当線では唯一跡地を道路に転用した例となっている。

その道路上を進むと南池田(I参照)に到着する。ホーム跡が残り、民家のブロック塀の土台として利用されている。
14年7月
生活道はすぐに突き当って途切れるが、池田鉄道はその手前で東に逸れはじめ再びその痕跡を消しつつ、農地、保育園、グランド等を抜けたのち県道275号線と交差する。踏切の両サイドは民家に変っているが、その境界線には今も小さな水路が流れ、当時のルートを示している。

県道の一本北の道路沿いに位置したのが信濃池田(J参照)。本社が置かれた主要駅で、ホームと共にその二階建の社屋が雑草に被われながらもいまだに現存する。
なお東西に走る道路が駅前通りで、当時は西側の市街中心部から駅舎に突き当たるまでの短い道路だった。ここには駅跡の標柱に鉄道の概略を記述した説明板が添えられている。
J
14年7月
K そのまま北に向い機械工場、保育園、農地等の中を走り抜けると終点北池田(K参照)に到着する。
市街地の北はずれに位置するためか、開発があまり進められず当線の中ではもっとも鉄道の雰囲気が強い箇所だ。ホーム跡に並んで古い木造の家屋が建ち、これが当時の駅舎と思われるが現地での確認は取れなかった。

全線にわたり圃場整備が実施され線路跡はトレース不能だが、駅跡はそれなりに痕跡が残るという、何ともちぐはぐでおもしろい路線ではある。
14年7月

 参考資料


 参考地形図

1/50000  信濃池田
1/25000  有明 [S6修正]  信濃池田 [S6修正]  明科 [S6修正]

 
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