大夕張鉄道を訪ねて
 地区:北海道夕張市 区間:清水沢〜大夕張炭山 軌間:1067mm 動力:蒸気→内燃

廃止鉄道ノート北海道  減速進行

メロンで有名な北海道の夕張市、ここに炭鉱のためにつくられた鉄道が走っていた。
その鉱山は険しい地形を分け入った大夕張地区にあり、開発計画当初より鉄道の敷設も考慮されていたが、開抗の初期には馬車軌道を利用して石炭の出荷が始った。数年を経たのち待望の専用鉄道が開通し、馬車軌道に取って代った。
やがて炭坑の中心が南部から北部に移ると、それに従って専用線も延長された。そして、その規模が徐々に拡大するにつれ人口も増加し、周囲に街が形成され始めると、専用鉄道は地方鉄道に変更され旅客営業を始るに至った。外部に通じる道路がなく、昭和37年にバスが運行されるまでの間、鉄道はこの町で生活する住民にとってまさに命の綱だった。
当初は大夕張より更に奥地まで、また遠幌加別川沿いにも支線が計画されていたようだが、こちらは計画のまま終っている。また、昭和36年には夕張川水系の「大夕張ダム」建設に伴って、一部線路の移設も行われた。

時代は移り変り、石炭産業の斜陽化により山は閉抗され、鉄道は廃止された。さらに「夕張シューパロダム」の新たな建設により、炭鉱の町も湖底に沈むことが決まり、今では人っ子一人、家一軒すら見あたらず、立派な2車線道路を利用する主役は一人もいなくなってしまった。同じく、南大夕張以北の線路跡も遠からず水没する運命にある。


 略史

明治 39 (1906) - 6/ 京都合資会社 設立
* 41 (1908) - 4/ 夕張炭坑株式会社として独立
42 (1909) - 9/ 大夕張炭坑株式会社に社名変更
44 (1911) - 6/ 1 清水沢〜二股(南大夕張)間 専用線開業
大正 5 (1916) - 2/ 17 三菱合資会社に併合
7 (1918) - 4/ 10 三菱鉱業株式会社として独立
6/ 14 二股駅を大夕張駅と改称
昭和 3 (1928) - 10/ 15 大夕張(南大夕張)〜通洞(大夕張炭山)間 延長
4 (1929) - 1/ 22 大夕張駅を南大夕張駅、北部駅を大夕張駅と改称
9 (1934) - 4/ 7 葡萄山隧道崩落 廃止
13 (1938) - 10/ 20 通洞駅を大夕張炭山駅と改称
14 (1939) - 4/ 20 地方鉄道に変更 三菱鉱業株式会社線として営業開始
15 (1940) - 9/ 1 遠幌加別(遠幌)駅 設置
22 (1947) - 1/ 16 新清水沢駅 廃止
25 (1950) - 11/ 1 明石町駅、千年町駅 設置
31 (1956) - 6/ 1 美唄鉄道併合により三菱鉱業株式会社大夕張線と改称
37 (1962) - 6/ 1 シューパロ湖駅 設置
10/ 大夕張ダム建設に伴う南大夕張〜明石町間線路移設完了
旧青葉隧道廃止、新青葉および吉野沢隧道 開通
44 (1969) - 10/ 1 三菱大夕張炭坑株式会社として独立 同社線となる
シューパロ湖駅 廃止
46 (1971) - 7/ 美唄炭坑株式会社と合併
48 (1973) - 8/ 21 大夕張鉱業所 閉山
12/ 16 南大夕張〜大夕張炭山間 廃止
12/ 17 三菱高島炭坑と合併 三菱石炭鉱業株式会社と社名変更 同社線となる
62 (1987) - 7/ 22 三菱石炭鉱業株式会社線 廃止

 路線図




 廃線跡現況

A 03年7月
JR石勝線(夕張支線)清水沢駅がこの鉄道の出発点。貨物列車を主体としていたためか、大きな構内(A参照)が当時の面影を残している。接続するJR線もいまは細々とワンマン列車で運行を続け、いつ廃止されてもおかしくない状態だ。

レールの取り払われた清水沢を南に向け出発した大夕張鉄道は、大きな左カーブでJR線から別れ進路を北東に変える。このカーブ途中にあったのが地方鉄道へ変更後の旅客始発駅新清水沢で、乗客はここから国鉄清水沢駅までの間を徒歩で連絡していた。旅客車両が国鉄駅構内へ乗入れを開始したのは戦後になってからだ。
この新清水沢からほんの少しの間は放置状態で荒れ放題だが、その後は国道452号線に平行して路盤を残し、一部は国道の拡幅にも利用されている。
参考地形図から読みとると、この付近にはさらに南側に平行する鉱山軌道らしき線路が描かれ、崩落した葡萄山隧道付近まで続いている。清水沢炭鉱の関連施設と思われるが、現在はその痕跡をまったく認めることが出来ない。

また参考資料に写真が紹介された葡萄山トンネルも、今では遺構、詳細な場所とも確認することができなくなってしまっている。トンネル崩落後に付け替えられた線路跡は、国道を挟んだ南側に放置された状態で続いていくが、跡地沿いに電柱が建ち場所の特定は比較的容易だ。国道からは橋台跡(B参照)なども見つけることが出来る。
夕張川に沿ってしばらく進むと平行する国道452号線と交差し、鉄道が山側へと、その位置を替える。国道を大夕張に向って走ると、左手に鉄道の築堤が続く様子が見て取れる。
B 03年7月
C 03年7月
この築堤をたどると、その先の遠幌には空き地が大きく広がっている。国道から駅跡に入ると右手に保育園があるが、今では建物をそのまま残し、廃業してしまった。周囲に民家は少なく、石炭産業の退廃と共に沿線の人口が減ったことを如実に証明している。

さらに東に進むと夕張川支流の遠幌加別川を越えるが、川底に鉄道橋の橋脚基礎部分が申訳程度に顔をのぞかせている。隣接して方形断面を持つコンクリート製の橋脚も数基残るが、参考資料によると専用線時代の旧線跡との説明がある。
この先路盤は国道の北沿いに低い築堤として連続するが、あまりにも雑草が多く一見してそれとは判断できない。また、遠幌加別川を越えたあたりから徐々に民家が増え始め、始点を出発して以来初めての集落といえる町並を通過することとなる。町名では遠幌、岳見、幌南、夕南、若美といったあたりに相当する。

これに続く東町の信号交差点付近には橋台(C参照)が残されている。同所には国道と大夕張鉄道を一跨ぎする歩道橋があるが、利用頻度が減ったためか今は通行止となっていた。
D 03年7月

しばらく続いていた集落が大宮町の南大夕張(D参照)付近で終る。ここは開業当初の終点、そして一次廃止後の終点でもある。本来の石炭輸送に加え、大夕張ダム建設資材の運搬、森林鉄道との連絡運輸などにも大活躍した拠点だ。
今ここには当時のホームとともに一部の車両が保存されている。僻地といっては失礼だが、こんな場所での保存にしては大変手入れがよい。客車内も一時代前の旅客列車の雰囲気をよく残しているが、これも保存会が結成され定期的に活動されているからに他ならない。
ただ悲しいかな、こうした程度のよい保存車両を目の当りにすればするほど、走って、運んで、初めて鉄道といえるのだとの実感をより深くしてしまう。

駅のすこし先から鉄道跡を利用した自転車道が始まるが、雑草に覆われてとてもじゃないが通れそうにもなく、隣接する国道から眺めてもどこに道があるのかさえ判断が付かない。では、どうして自転車道と判断したかというと、雑草の中に自転車専用道の標識が立てられているからに他ならない。

E 03年7月
しばらく進むとこの自転車道上にトンネル通行止めの標識を見つけることが出来る。ちょうど東に向っていた線路跡がシューパロ湖にぶつかり、北に進路を変えるあたりになる。

これは大夕張ダム建設によって付け替えられた大夕張鉄道の(新)青葉トンネルのことで、廃止後しばらくは自転車道に利用されていたものが、今は拡張され国道に生まれ変わり、手前の築堤も姿を消している。自転車道はこの国道拡張に利用され、自然消滅してしまったようだ。

続く東側に落石よけの小さなトンネル(E参照)があり、これを抜けると再び自転車道となるが、こちらも最近はまったく整備されずやはり廃道同然の状態。
本題からはずれるが、トンネルの東側に広がるシューパロダム湖には廃止された夕張森林鉄道の三弦橋が原形を保ったまま残り、その姿を今でも楽しませてくれる。この有名な橋梁も、やがて夕張シューパロダム完成の暁には大夕張鉄道の廃線跡共々、湖底に沈む運命だ。もちろんそれまでに橋桁は撤去されてしまうことだろう。

「夕張シューパロダム」は何とも奇妙な誤解を与えてくれる。
一旦「大夕張ダム」建設によって水没し線路の付け替えを実施した鉄道が、新たな「夕張シューパロダム」によって再び線路跡が水没するという、常識的には考えられない事態が起るのである。だが種を明かせば何のことはない、この「夕張シューパロダム」は現在の「大夕張ダム」に覆い被さるような、新たなダムを建設する計画なのだ。
F 03年7月
G 03年7月
つまり「大夕張ダム」のほんのすこし下流にさらに大きなダムをつくり、今のダムをすっぽり飲込んでしまうという何とも豪快な計画だったわけで、悔しいかなこのトリックに気付くまで少し時間を浪費してしまった。
余計な心配だが、貯水量が大幅に増える新ダム湖の名称は、やはり今と同じシューパロ湖なのだろうか。少し気にはなっている。


さて並走する国道をさらに北に向うと左手に吉野沢トンネルを見つけるが、こちらは閉鎖され(F参照)中を覗くことも出来ない。このトンネルも大夕張ダム建設時の線路付け替えに伴って新たに掘削されている。

明石町(G参照)にはあとからつくられた線路横断用の地下道がいまも健在で、強烈に駅跡を主張している。駅の周辺には炭坑の社宅など多くの住宅があったはずだが、今は一軒の家もなくただただ漠然と空地が広がるのみ。
その先に架かる何ともユニークな形態の旭沢橋梁跡(H参照)を過ぎ、本来なら炭鉱の活気ある町並が始るはずの千歳町も、国道より左へ入り込んだ空地にポツンと立つ電柱が駅跡を示すだけとなっている。明石町同様、付近には家が一軒もなく、町そのものが消えてしまっている。

続くこの炭鉱街の中心、大夕張の栄町交差点も全く消えた。ここも、交差点から少し西に入った空地に建つ電柱が大夕張の駅跡を示す。夏草の茂る空き地と誰も利用しない縦横の舗装路、またどこへ引き込むでもない電柱がやたら目立ち、昔はここにたくさんの人が生活していただろう事が想像できる。

終点大夕張炭山(I参照)はヤマも消え、町も消え、鉄道も消え、ズリ山すら判別が難しくなっている。
ズリ山といってもピンとこない人もいるかもしれないが、これをボタ山と言換えれば理解して頂けるのではないだろうか。方言でもなかろうが、北海道と九州では呼名が異なるようだ。
H 03年7月
I 03年7月
この駅手前までは国道の西側に平行する未舗装路が続くが、この道と現国道との中間あたりに鉄道が敷設されていたと推測する。また駅周辺の詳細もやはり不明で、線路跡が国道に転用された可能性も否定できない。国道西側の空地になぜか街路灯が一基だけぽつんと建ち、確証はないがこれが駅跡の目安かもしれない。炭鉱操業時の広大な敷地もまったくの荒れ放題で、どこに何があったのか現状からは推測すら出来ない。まさに白昼の闇にまぎれ込んだような錯覚に陥る。


「夏草や 兵どもが 夢の跡」 ここ大夕張にはまさにうってつけの一句ではないかと思う。
南大夕張に残る保存車両内(J参照)
J 03年7月

 参考資料


 参考地形図

1/50000  石狩鹿島 [S33測量]    紅葉山 [S33測量]
1/25000  紅葉山 [S49測量]  シュウパロ湖 [S49測量]

 参考web


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