地区:北海道根室市 区間:根室〜歯舞/15.1km 軌間:762mm/単線 動力:蒸気・内燃
当地で採れる昆布は高級品として今も有名だが、この鉄道もこれら海産物の出荷を主目的として敷設された。地元の人には失礼な形容となるが、この「最果ての地」に敷設された鉄道は、西の朝倉軌道と並んでマニア垂涎のゲテもの車両を走らせていた。ただ、なぜか国鉄線との連絡がないままに廃止され、鳥戸石への延伸計画も日の目を見ることはなかった。昭和 | 4(1929) - | 10/ | 16 | 根室拓殖軌道 | 開業 |
12/ | 27 | 〃 | 全通 | ||
9(1934) - | 11/ | 18 | 〃 地方鉄道に変更 | ||
20(1945) - | 4/ | 1 | 根室拓殖鉄道に社名変更 | ||
24(1949) - | 6/ | 20 | 〃 | 休止 | |
9/ | 21 | 〃 | 廃止 |
A | 根室市街の北東部に位置した始発駅根室(写真A)は、後継バス会社の根室交通有磯営業所として利用されている。 他の鉄道と全く連絡のない離れた場所のため、運んできた物資の行き先が気になるが、当時は根室港からの海上輸送を優先したと考えられる。 |
||
01年8月 |
駅を東に出発した路線はすぐに国鉄の貨物線を越えていたが(写真B)、この線も無くなって久しい。当初は鉄道のみが橋梁で越えており、現在の道路橋は鉄道廃止後その跡地を利用して建設されている。 貨物線跡は公園となり案内看板もあるが、なぜか根室拓殖鉄道に関しては一切触れられていない。 |
B | ||
01年8月
|
C | 連続した上り坂で市街地を越え太平洋側へと路線は続いていくが、坂を登り切った地点で左に曲ると跡地は道道35号(写真C)に吸収される。南側の歩道あたりが当時の線路跡かと推測される。 途中で軍用線との平面交差もあったようだが、既に住宅地として区画整理され、交差部は判然としない。 |
||
18年6月 |
道道は根室高校脇をかすめたのち、大きなS字カーブを描くと下り坂に変化し、太平洋を右手に望みながら一気に駆け下る。 途中から歩道は消滅し、道路脇の窪地あるいは空き地(D参照)へと変わった路盤上には電柱が立ち並ぶ。各地の廃線跡でも散見される光景だ。 なお道路の傾斜はかなり急だが、鉄道側は若干緩やかな勾配で下っていたようだ。 |
D | ||
18年6月 |
E | 坂が終わった後も両者は併走したまま、一部区間ではやや距離を開けつつ東へと進んでいく。 オンネ沼付近では地形の起伏に設けられた小さな切通や、低い築堤(写真E)を確認することができる。ただ一帯は自然のまま放置され、人が立入ることを拒んでいるように見える。 |
||
18年6月 |
再び道道の南脇に並んだ鉄道跡は、友知(写真F)の手前でS字カーブを描き、道路を二度横断する。駅跡は旧道側の同名バス停が目印となる。 鉄道との関連は不明だが、縦に亀裂の入ったコンクリート製電柱が一本放置され、雷の直撃でも受けたような不気味な姿を晒している。 |
F | ||
18年6月 |
G | 駅を出ると友知川を三度渡り、更に左右への細かいカーブを繰り返しながら、ゴルフ場南端の丘陵法面を駆上がる。ただ線路跡には近づけず、橋梁やルートの現認は難しい。 ゴルフ場の東方、旧共和小学校付近では、道道脇に急接近する築堤跡(写真G)を確認する。長年放置されているはずなのに、雑草の生育状態には他と明らかな差が認められる。 |
||
01年8月 |
線路はここから集落を避けるように北に迂回し、沖根婦川を越えて沖根婦に着く。瑞泉寺の南東にあたるが、現在は雑草に覆われるため正確な駅跡は不明で、取付け道路も確認は取れない。 その先で双沖神社の北側を抜けるが、当時のかすかな掘割が姿を見せている。また沖根辺川(写真H)前後では築堤も確認でき、左岸には橋梁跡らしきコンクリート構造物がほんの少し顔を出している。 |
H | ||
18年6月 |
I | ルート上を明示的に続く築堤、掘割はやがてヒキウス川へとつながる。川の右岸にはコンクリートの残骸(写真I)が残るものの、木橋であったため鉄道の遺構かは不明で、築堤と沼を仕切る護岸擁壁の可能性も考えられる。 ここも路盤上に電話用とみられる電柱が建ち並ぶ。 |
||
18年6月 |
一旦道道の南側に位置を変えた路線は、婦羅理(写真J)の手前で再び北に戻る。駅跡は公園と歯舞振興会館に変わり、隣接していたチーズ工場跡らしき基礎も一部顔を出している。当時は旅客ホ−ムの他に、工場の出荷用ホームを別途備えていた。 駅の先は牧草地の中を進むが、地上で見るより航空写真の方が確認を取りやすい。 |
J | ||
18年6月 |
K | 東北東に向う鉄道はやがて日本最東端の歯舞小中学校に突き当たり、ここで南に向きを変えたのち道道35号線を横切り、終点の二代目歯舞(写真K)に到着する。 後継会社の根室交通が跡地を市に寄贈して診療所が建設されたこと、当時は昆布の出荷が盛んに行われ、駅周辺は活気に満ちていたこと等を、地元で教えてもらった。 |
||
01年8月 |
下記参考資料によると開業時の旧駅(写真L)は歯舞小学校付近に置かれ、本来の予定地は更に東方と記されている。昭和20年代の空中写真ではこれに符合する駅構内と思われる区画や、東に向かって続く鉄道路盤らしきルートを確認でき、当初から鳥戸石への延伸を目論んで建設が進んでいたような印象を受ける。 しかしレール等の資材不足により計画が中断され、急遽、港近くまでの路線を敷設し駅を移動したと考えれば、不自然な大回りルートもそれなりに納得がいく。 |
L | ||
18年6月 |
1/50000 | 根室北部 | [S30測量] | 納沙布 | [S30測量] | 根室南部 | |||
1/25000 | 根室南部 | [S25測量] | 友知 | [S25測量] | 根室北部 | [該当無] | 納沙布 | [該当無] |