鞍手軌道を訪ねて
廃止鉄道ノート九州 減速進行

 地区:福岡県宮若市  区間:福丸~直方/13.8km  軌間:914mm/単線  動力:蒸気→内燃

石炭を運ぶ運炭線が官民問わず網の目のように張り巡らされた筑豊地区。この中で炭鉱に接続しない鞍手軌道は珍しい存在となる。ただ道路上を走る軌道は脆弱で競争力がなく、台頭するバス、トラックに追い込まれ昭和初期にはその役目を終えている。

略史

大正 3(1914) - 3/ 10  鞍手軌道 開業
4(1915) - 10/ 28    全通
昭和 13(1938) - 7/ 24     廃止

路線図


廃線跡現況

A
26年3月
筑豊本線の駅前に置かれた鞍手軌道の初代直方(写真A)。当地の中心として通常なら起点となる駅だが、社設立の経緯からこちらが終点とされた。場所は鞍高七十年/鞍手高等学校刊に、現在の国鉄バス営業所とマルショク西隣の飲食店の間と記される。しかし近年の再開発により、26年時点でバス営業所は直方病院、マルショクはコインパーキングに置き換わり、飲食店のみが健在だ。
B
26年3月
開業時は須崎郵便局からの市道が省線駅までつながっていたため、踏切を越えた先に駅が位置したことになる。しかし道路側の交通量が増えたことにより危険度合も比例し、これを回避すべく同一構内北側に移設されたのが二代目(写真B)となる。
C
23年3月
当路線は道路上への敷設を前提とした軌道だが、直方寄りは専用軌道で敷設され、これが全線の過半を占める。その線路跡は舗装路(写真C)に転換され、今は地元の生活道として利用される。道路は筑豊本線に沿って進み、直方市街地北端に位置した最初の知古(写真D)も同線の東に並ぶ。一部区間(写真E)は国鉄の貨物ヤード増設に飲み込まれるも、石炭輸送の終焉に伴って関連施設は撤去され、今は県道27号線沿いのロードサイド店舗に変わる。

D
23年3月
E
23年3月

F
26年3月
この北側に再度舗装路が現れ、そのまま天神橋(写真F)に至る。道路沿の民家内に当時の井戸(写真G)が残され、経緯を記した案内板も整備される。駅の先で左カーブを描いて筑豊本線をアンダーパス(写真H)し、同所には当線がくぐった旧線時代のレンガ積橋台が今も現存する。軌道側はさらにカーブを続け、向きを南に反転させる。無駄とも思える大廻りコースだが、筑豊本線を越えるにあたっての建設費抑止が目的なのかもしれない。

G
26年3月
H
23年3月

I
23年3月
犬鳴川の右岸を南下する転用道路はやがて二車線へと拡幅され、途中に新入(写真I)鴨生田(写真J)の各駅が続く。さらに主要地方道の県道21号線と交差後、右に折れて犬鳴川を龍徳橋(写真K)で越える。木橋でスタートし、中央部のみ鉄橋に移行した橋梁だが、痕跡は見いだせなかった。その代役なのか、上流側に旧道路橋の木杭が水面から顔を出す。

J
26年3月
K
23年3月

L
23年3月
対岸で専用軌道は終了し、以降は先程交差した県道21号線上(写真L)の併用軌道に変わる。この先の龍徳(写真M)は駅を印した地図が無く、5番目の待避所とされる距離程4哩25鎖79節(6956m)地点を同駅と捉えて計測した結果、同名バス停前後を指し示した。
M
23年3月
駅を出ると右カーブで西に向きを変え、しばらく進んで本城(写真N)に至る。当時の地図に大きな集落は認められないものの、今は全国チェーンの郊外店が道の両側にずらりと並ぶ。また古くは駅の東方を運炭鉄道が横切っていたが、鞍手軌道開業時には既に撤去されたようだ。続く田淵(写真O)は地形図に記載無く距離程も不明なため、集落につながるアクセス路前後かと推測するにとどめた。

N
23年3月
O
23年3月

P
23年3月
宮田市街に入ると軌道はいったん道路上から外れ、専用軌道に変わる。住宅密集地を避ける目的と考えられ、ここも一部が生活道(写真P)、残りは二車線の県道に転換される。
Q
23年3月
その県道側に設けられていたのが宮田(写真Q)となるが、主要駅としての面影は全て道路にかき消されてしまったようだ。駅の先で再度併用軌道に戻るが、拡幅された道路から専用軌道跡との違いを見つけることは不可能に近い。
R
26年3月
さらに最新福岡県管内軌道図では次駅として牛井(写真R)を記すも、近くに同名地は無く距離程も不明なため、根拠は弱いが大蔵西バス停が軌道駅を引き継いだと推測してみた。羅漢(写真S)は運行時の写真が公開され、後方に写る家屋が現存するため位置の特定に役立つ。さらに駅の西方で貝島炭鉱線の下をくぐるが、既に同線も廃止の上で道路転換されたため、今は道路同士の平面交差((写真T)を形作る。

S
26年3月
T
26年3月

U
26年3月
上記炭鉱線の終点近くに置かれたのが長井鶴(写真U)となるが、当軌道の規模を考えれば貨物の中継を意図した訳ではなさそうだ。むしろ集客に都合がよかったのかもしれない。
V
26年3月
駅の先で再び貝島炭鉱線と交差(写真V)する。だだし今度は平面交差で、貝島線側に索条とあることから、平坦路にもかかわらずインクラインの可能性が高く、その索条の処理方法には興味を惹かれる。なお同線の正確なルート、交差箇所は把めないものの、両線の角度は36度とされ、地形図から現在の原田公園方向を目指していたようにも読み取れる。
W
23年3月
軌道を抱えた県道はやがてバイパスに合流し、芹田橋(写真W)はその西方に位置した。駅に続く同名の道路橋を渡った地点で軌道は県道上を外れ専用敷へと移行し、一旦、犬鳴川左岸に接近したのち、向きを変えて県道上の併用軌道に戻る。旧道と併走した区間だが、今は軌道跡(写真X)が道路化され、旧道側は沿線の宅地等に取り込まれる。金丸(写真Y)は地形図に記載が無く、県道合流点の筑前金丸バス停付近かと推測するにとどまる。

X
23年3月
Y
23年3月

G
23年3月
道路上を道なりに進むと、やがて旧若宮町の市街地に至る。現県道はまっすぐ貫通するが、当時は若宮役場前交差点で終了し、その西側に起点となる福丸(写真G)が設けられた。蒸気鉄道として大きな構内が必要とされ、その一部は北西角のバスターミナルも含んでいたようだ。なお旧若宮町はその後の町村合併により、今は宮若市に属する。

参考資料

  1. 鞍手軌道(一)・自明治四十四年至大正四年 他/国立公文書館

参考地形図

 直方 [S11二修]
 中間 [T11測図]   直方 [該当無]

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制作公開日2026-3/10  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
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