別海村営軌道を訪ねて
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 別海村営軌道  地区:北海道野付郡別海町  区間:奥行臼~上風蓮/13km  軌間:762mm/単線  動力:内燃

廃止された殖民軌道根室線の一部区間を転用して開業した風連線。これに合わせて動力が馬匹に戻されたため、輸送力増強に向け再内燃化が計画された。ただ厚床へ向かう旧根室線区間は路盤が軟弱なためこれを廃し、標津線奥行臼駅への新線を建設した。と同時に別海村営化され、道東の殖民軌道/簡易軌道の中では遅くまで活躍した路線となった。

略史

昭和 38(1963) - 12/ 14  簡易軌道 風蓮線、起点を奥行臼に変更し内燃動力化、別海村営となる
  46(1971) - 3/ 31  別海村営軌道 廃止

路線図




廃線跡現況

A
25年9月
動力変更に伴い、起点を厚床から奥行臼に移した別海村営軌道。貨車は標津線駅前(写真A)に乗り入れたが、乗客はやや離れた場所で乗降したようだ。貨物が主、旅客は従とする殖民軌道の役割を引き継ぐ配置だ。その旅客駅(写真B)には車両が保存され、待合所兼用の事務所、転車台も原形を保つ。西に向かって走り出した軌道は、短い天然林を抜けると早速牧草地(写真C)の中に姿を隠し、正確な経路の調査を不可能にする。

B
25年9月
C
25年9月

D
25年9月
さらに、かなり遅くまで残された路線にもかかわらず途中駅を描いた地図がなく、距離程も不明なため下記参考資料や昭和40年の空中写真等を参照したが、多くの駅は未だ検証のできない状態だ。最初の奥行第一(写真D)もやはり、大雑把な範囲を絞り込むしか術は無かった。
E
25年9月
奥行第二(写真E)では近くに酪農施設が三箇所確認でき、ここの製品出荷に対応したものと考えられる。
F
25年9月
奥行第三(写真F)は旧根室線との交差前後となるが、両者とも牧草地内に埋没し、おおよその位置を俯瞰するにとどまる。また空中写真で直近の施設を一箇所確認できる。富山(写真G)も、空中写真から数箇所の施設と軌道の待避線を読み取れる。一号(写真H)は道路脇の雑草地となり、南西の進んできた路線はここで南に向きを変える。

G
25年9月
H
25年9月

I
25年9月
途中で神風蓮川を越えるが、牧草地の奥に位置し天然林が両岸を囲むためアクセスの手段がなく、橋梁痕の確認は難しい。さらに南下を続けると左手から初期の風連線が接近し、そのまま合流する。と同時に西に向きを変え、町道脇の二号(写真I)に至る。風連線時代にはなかった駅でもある。
J
25年9月
ここから先は馬力から内燃動力に移行した区間で、路盤改良と共に駅の新設等も行われたようだが、ルートはほぼ同一と考えられる。風蓮線時代の平野はやや場所を東に移し、学校前(写真J)として新設された。同駅は写真が公開されるため、所在地の確認は比較的容易だ。
K
25年9月
道路はここで町道から道道へと切替わり、北脇を併走していた軌道は次の左カーブ手前で道路と交差し、南脇へと位置を移す。その先、殖民区画の四号に置かれていたのが、同名の四号(写真K)となる。
L
25年9月
続く五号(写真L)は風蓮線時代の倉前後継駅と思われるが、同位置だったのか確認は取れていない。駅名はやはり殖民区画からの命名と思われる。並走する道道は駅の先でS字カーブを描いてやや北に移動し、直進する軌道側は狭い未舗装路へと転換される。この道の終端が七号(写真M)で、ここからは再び牧草地(写真N)と天然林の混在地を抜けるため、線路跡の追跡は難しくなる。

M
25年9月
N
25年9月

O
25年9月
直進する路線は上風蓮小学校の校庭付近に達すると北に折れ、同校正門前をかすめたのち道道を横切る。道路北側が終点上風蓮(写真O)となり、風蓮線時代から見れば二代目に相当する。25年時点で構内は更地となり、北奥に当時の機関庫が残されるも手前の転車台は撤去され、西側に立地した牛乳工場への側線も面影はない。

参考資料

  1. 北海道の殖民軌道/レイルロード/今井啓輔  著

参考地形図

1/50000   姉別 [S7鉄補/S19部修]   厚床 [S19部修]
1/25000   奥行 [S26測量/S45修正]   上風連 [S26測量/S45修正]   厚床 [S25測量]   姉別 [S26測量]

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制作公開日2025-12/29  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
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