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無題
鬼木正道
[2010/12/25,11:04] No.22
管理人様、お気遣い賜り有難う御座います。 曽祖父が早く亡くなった事や祖父の兄弟が外地に出たり、内地でも朝倉の在所を離れたりした為か、両筑軌道の資料は何も残っていません。大叔父や地元の古老は曽祖父の事や軌道の事も知っていましたが、もう少し話を聞いておけば良かったと後悔しています。 唯、話では祖父が曽祖父と軌道の側に立っていたところ、機関車がやって来て、曽祖父がさっとステッキを振り上げると機関車が止まったので、祖父が「何で機関車が止まるとね?」と聞いたところ、「俺が社長やけんたい。」と答えたそうです。 是は調査の中で気付いた事ですが、両筑軌道が走っていた県道甘木田主丸線は郡道として明治36年から整備が始められた新設道路で、全く道が無かった処に出来ました。曾祖父は当初、軌道の沿線にあった金川村の村長を務め、朝倉郡議会議員を経て、明治36年から福岡県議を務めていました。この道路新設は両筑軌道敷設を視野に入れた道路整備ではなかったか、と思うのです。当然朝倉軌道との連携があったはずです。曾祖父と朝倉軌道の多田さんは親交がありましたので。 又、大伯父の一人が後に一時、朝倉軌道に勤めていた、と聞いています。 当時、多田さん朝倉軌道の社長で夜須銀行の頭取、鬼木が両筑軌道の社長で下座銀行の頭取であったと聞いております。 以上の様な話ですが、軌道についての資料は全然有りません。例えば時刻表ですとか、決算書等の会社資料ですとか、或いは軌道そのものの資料など、何か御存知のものが御座いましたら、御教示下さいます様、宜しくお願い致します。
管理人様の御好意に甘えて長々と記述して済みませんでした。
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