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最後の煉瓦積の橋台(W)は、鉄道が走る前からあった道路を鉄道が走ったときに補償するために作られた道路の橋の跡です。1910年頃の古地図には、この橋が掲載されています。橋台の角度も東郷方面から南西に伸びています。若宮は南東です。北側には2つ橋台があり、橋でT字の交差点になっていたのかもしれません。地図はまた後日。また、福津市内の宮地岳線(西鉄福間〜津屋崎)の跡は少ないのですが、宮地浜のまつなが小児科前の小さな水路をまたぐところに犬釘の跡が残っています。
未成線の橋台に関して、道路橋と重なることは承知しています。1926年の地形図(直方)にも描かれていますし、1948年の空中写真から読み取ることもできます。写真の橋台を未成線の遺構として紹介したのは、鉄道ジャーナル1983年12月号津屋崎軌道と宗像郡の鉄道・軌道の内容によります。ここには西側が宮地岳線用で、東側をルート変更による不要物としています。ただし北側と南側で幅が大きく違うことは、今も疑問点として残っています。