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久しぶりに記事を拝見しましたら、直近で更新されており驚いたとともに情熱を感じ、感動いたしました。松阪の街は仕事の関係で縁があり、この廃線跡も営業当時の風景を想像しております。松電の大口線が紀勢本線をオーバーパスしていた件につきまして。私は、1931年以前はご高察のルートで平生町から大口に向かっていたものを、参宮急行鉄道による線路の敷設に伴ってやや東寄りの地点で立体交差し、国道166号付近で旧線と合流する線形で営業したのではないか、と推測しております。地元の方の証言やこの説を唱える考察記事に出会ったことはございませんが、末広町1丁目の道路をご覧いただくと軌道跡を道路に転用したと思しき地域があることにお気づきいただけると存じます。また、その遺構と考えられる構造物がグーグルストリートビューに撮影されておりましたので紹介いたします。
これ何でしょうかね。当日、踏切を迂回する際に現認しています。ただ紀勢本線のみの大正9年の地形図と、近鉄の開通した昭和12年の地形図を比較しても、大口線は同一箇所でオーバークロスしています。付け替え説は少し無理があるような気がします。