ご記帳処 中国・四国

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土讃線吉田踏切付近の立体交差 名前: 最後のイ吏 彳走 [2016/06/24,20:20:45] No.30
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2015/12/16 04:05

はじめまして。
琴平参宮電鉄について検索していた所、このサイトに辿り着きました。
廃止が私が生まれる前年だったので実際に列車が走っている所は見た事がありませんが、叔父ののアルバムにラストランの写真が1枚だけあり、良く話を聞かされました。
小学校に上がる前くらいまでは、琴平から善通寺までの軌道跡を叔父の自転車に乗せられて良く通っていました。その頃既に軌道跡は道路として使用されていましたが、当時はまだ未舗装で路肩には赤茶げたバラストが多く残っていたり、岩崎隧道にはホームレスが住み着いていて通るのがははばかられた事を記憶しています。
タイトルの土讃線吉田踏切付近の立体交差ですが、私が小学校低学年の頃には土讃線の線路の左右に立体交差跡の土塁がまだ残っていて、その辺りで良く遊んでいました。橋桁の部分は既に無く、最初はそれが何なのか分からなかったので叔父に聞いた所、電車(琴平参宮電鉄)が汽車(現JR)の線路を越えるための立体交差の跡だと教えられました。
叔父の話では、電車が立体交差を登る時に良く脱線していたそうです。
子供の頃はそれで納得していましたが、大人になるにつれて昔の非力な電車であの勾配(当時の私の目には、かなりの勾配に見えた)を本当に登る事ができたのか疑問になり、現役当時の画像がどこかに無いか探しています。何か情報があればと思い、書き込ませて戴きました。
>> 無題 名前: 管理人 [2016/06/24,20:22:15] No.31
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2015/12/16 15:52

最後のイ吏 彳走 さん初めまして

土讃線交差の件ですが、撮影に最適な構図となる場所なので写真が存在するなら社史等に載せられると思われますが、私が調べた60年史にはありませんでした。この60年史には各所の古い写真も載っていますから、一見の価値はあると思います。また上吉田町交差点の西に当時の橋台跡が残っているとの情報もあるようです。
なお私が調査する場合は、まず地元の県・市立図書館、郷土資料館等から始めています。琴参の場合は会社が存続していますから、直接尋ねてみる手もありますね。
>> 無題 名前: 最後のイ吏 彳走 [2016/06/24,20:23:13] No.32
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2015/12/17 01:56

ご回答ありがとうございます。
やはり地元の図書館に行くのが一番ですか・・・。
現在は都内に住んでいて地元には年に一度、夏に帰省するだけなので、すぐには見に行けません。
来年の夏に地元に戻った時、時間を作って行ってみようと思います。
ありがとうございました。
>> 無題 名前: 管理人pyoco3 [2016/06/24,20:24:02] No.33
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2015/12/17 13:47

最近はネットで各館の蔵書が調べられますし、近くの図書館で取り寄せてもらう相互貸借の便利なシステムもあります。私はこれをよく利用します。
また敷居は高いですが、国会図書館も結構地方の資料がそろってます。
よろしければ参考としてください。
>> 無題 名前: 最後のイ吏 彳走 [2016/06/24,20:24:56] No.34
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2015/12/19 20:30

一つ思い出した事があります。
1980年代の半ば頃まで、丸亀市街地の現県道33号の中央部には石畳がありました。
確か、6番町交差点辺りから善通寺方面に向かって続いており、城西町交差点か中府町交差点の辺りから道路の東側の端に移動していたと思います。
当時はそういう物に全く興味が無かったので、下水道か用水路の蓋か何かだろうと思っていました。今にして思えば、あれは軌道跡の名残だったのかも・・・。
全く関心がなかったので気が付いた時にはもう無くなっていましたが、あの付近で大がかりに道路を掘るような工事をしていた記憶は無いので、恐らくアスファルトの下には今も残っているのでは無いかと思います。
私の記憶違いの可能性もありますが・・・。
>> 無題 名前: 管理人pyoco3 [2016/06/24,20:25:56] No.35
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2015/12/20 20:41

原則として軌道は敷設前への復帰が義務づけられていますから、確率はかなり低いと思われます。
廃止の続いた昭和40年代はアスファルトを被せただけの応急処置が各地で認められていますが、その後の再舗装時にほとんどが撤去されています。
とはいえ真実は道路を掘り起こしてみないとわかりませんが、その勇気はありません。
>> 無題 名前: 最後のイ吏 彳走 [2016/06/24,20:26:44] No.36
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2015/12/21 04:18

なるほど、そうでしたか。
私のうろ覚えの記憶なので、もしかすると他の場所の風景と混同している部分もあるのかもしれません。

Googleの航空写真とストリートビューを見ていて気付いたのですが、多度津の土讃線を跨いでいる高架橋ですが、電鉄時代からの高架の横に新しい高架橋ができていて、古い高架は既に撤去工事の最中なのが写っていました。
画像では橋脚と北側の土塁はまだ手つかずでしたが、南側の土塁はほぼ撤去が終わっていて、県道も新しい高架の方に繋がっています。
写真の日付が1012年7月となっているので、現在ではもう完全に撤去が終わっている様です。
この夏にあの辺りを数回通ったのですが、現在使用されている高架橋の横にはもう何も無かったので・・・。
>> 無題 名前: 管理人pyoco3 [2016/06/24,20:28:30] No.37
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2015/12/21 20:07

来春に訪ねてみる予定をしています。新たな発見があればサイトに書き込みますので、そのころまた覗いてみてください。


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