両備バス西大寺鉄道線を訪ねて


廃止鉄道ノート中国  減速進行

 地区:岡山県岡山市 区間:西大寺市〜後楽園11.4km 軌間:914mm単線 動力:蒸気→内燃

山陽本線から取残された西大寺を、岡山と結ぶ目的で計画された西大寺軌道。西大寺側は市街他を抜け南の九蟠港まで延長する計画もあったが叶わず、また岡山市内では岡山電気軌道の門田屋敷付近へ乗入れる予定だったが、最終的には市街地からやや離れた後楽園を終点として選択している。山陽本線との接続が第一目的だったことから財田以西はあまり力が入らず、また多額の資金が必要な旭川への架橋を伴う岡山市街地乗入れは当初からまったく構想に無かったようだ。


 略史

明治 44 (1911) - 12/ 29 西大寺軌道 開業
45 (1912) - 1/ 28     財田〜森下 延伸
大正 3 (1914) - 西大寺鉄道に改称
4 (1918) - 9/ 15     全通
昭和 30 (1955) - 10/ 1 両備バスと合併
37 (1962) - 9/ 8    西大寺鉄道線 廃止

 路線図

* 地図上にマウスポインターを置くと両備バス鉄道線を表示


 廃線跡現況

A 起点の西大寺市(A参照)はバスターミナルに変わっている。車庫を併設していた駅跡は大きな敷地を持ち、バスの転換、待機に十分な能力を発揮している。
しかし当地で行われる西大寺観音院会陽の際には持てる車両を総動員し、そのあふれかえる乗客を捌いていた、昔日の面影はない。

ここから北西方向に岡山を目指していた路線は、バスターミナルを出るとすぐ遊歩道として利用され始める。
01年1月
しばらく行くと国道2号線岡山バイパスにぶつかり、今はきれいな歩道橋でこれを越える。もちろん西大寺鉄道運行時には交差することもなかった道路だ。

その西方、砂川の砂川橋は既に人道橋として架け換え済みだが、川底に鉄道時代の橋脚跡(B参照)が顔を覗かせている。
B
01年1月
C 橋の先は住宅地の中に築堤(C参照)がつながり、鉄道らしい雰囲気が漂う。
18年3月
周りの住宅が農地に変わり、JR赤穂線に接近すると広谷(D参照)に着く。保育園の正面で、駅名標を模した案内板もあり、簡単な説明も記されている。

駅構内に沿ってやや屈曲する遊歩道に人影はほとんど無かったが、通園時間帯には園児たちでにぎわっているのかも知れない。
D
01年1月
E 線路跡をトレースする遊歩道は北西へと一直線に続いた後、赤穂線大多羅駅前の集落にぶつかり終了する。

集落の中では民家に取込まれた橋台(E参照)を発見、最近は隣に説明板も設置されている。水路は西に延びるが、その北岸にレールが敷設されていた。
01年1月
さらに水路を離れた路線は右に大きくカーブし、倉安川を渡ったのち設備会社の裏手を抜けて大多羅(F参照)に達していた。

増築された駅舎が今も健在だが当時の面影はなく、指摘されなければ駅舎と気づきにくい。ここにも最近、案内看板が追加されている。
F
01年1月
G 駅の先は一旦県道383号線の拡幅に利用されるが、庄内川の目黒橋南付近で西に分離し、旧県道の東奥に移った後、徐々に接近しその東脇を併走し始める。

この途中に位置した長利(G参照)は公園に利用され、やはり駅名標を模した案内板が立てられている。なお併走部の廃線跡は、既に道路に取り込まれている。
01年1月
道路上を道なりにしばらく進むと、いきなり二車線から一車線へと狭くなる。西大寺鉄道はここで道路から右に別れ、住宅地の中に入り込む。ここまでの線路跡が、道路拡幅に利用されていたことがよくわかる場所だ。

その後、国道250号線を横切り、用水路に沿って左に急カーブを描く。カーブ地点には路盤の境界が残り、用地に沿った畑(H参照)もつくられている。
H
01年1月
I 西に向きを変えた路線は、自転車預り所の北隣付近を抜けて、国鉄との接続駅財田(I参照)に到着する。

駅跡はJR東岡山駅の駅前広場に飲み込まれ、痕跡は何も残されていない。
01年1月
駅の西側は鉄工団地として再開発されたため、ルートを直接だどることはできないが、住宅地に入ると線路跡の境界線が随所に顔を出し始める。

乙多見公会堂(J参照)も、境界線に沿って建てられた建物の一つに数えられる。
J
18年3月
K そのまましばらく住宅地を進むと、ルート上に一車線道路が現れる。廃線跡を転換してつくられた道だ。

この手前に小さな橋梁跡(K参照)を見つけることが出来る。コンクリートの桁が載せられ、農作業等に使用されているようだ。
軽便とは云えども全国的にも珍しい914mm軌間の構造物はかなり大きく丈夫で、そのままJR線と同じ1067mm軌間への転換も可能なのではないかとさえ思える。
01年1月
一車線道路の途中に設けられていたのが大師(L参照)で、道路上に駅構内を示す膨らみを持つ。 L
01年1月
M また駅の東隣りには、道路用として再利用された石積の橋台(M参照)を見つけることができる。ただ道路転換時に拡幅された南側は、コンクリート製が採用されている。
18年3月
南西に進む道路はやがて十字路で終了し、鉄道側は住宅密集地に入り込む。ここも一部に線路用地の境界線が見受けられる。

その一画を抜けると再び一車線道路が始まる。最初は舗装路で、次いで未舗装となり、やがて空き地(N参照)につながる。
N
18年3月
O 空き地の先に立つ民家を越えると、小川に残された橋台(O参照)を確認できる。

その先は岡山の密集地に飲み込まれるが、短い路地(P参照)に転用された箇所や、道路沿いの用水に橋台跡(Q参照)を見つけることも出来る。
18年3月

P Q
18年3月 18年3月

藤原(R参照)は県道219号線と交差した西側で、現在はタクシーの車庫に利用されている。

駅の西を流れる百間川は鉄橋で渡るのではなく、常時流水のない河川敷にレールを敷設して横断し、堤防は切り欠いて陸閘を設けていた。詳細は省くが、その理由は川の歴史に由来する。
残念ながら平成に入って新たな改修工事が実施されたため、当時の様子を偲ぶものは全て消えている。
R
01年1月
S 川の右岸側に設けられていたのが原尾島(S参照)。道路脇に当時のホーム跡が顔をのぞかせている。

廃線跡を利用した生活道は一旦密集地に消えるものの、七階建マンションを過ぎると再び現れ、県道402号線にぶつかる。その手前に位置したのが旧原尾島で、道路に若干の屈曲が認められるものの痕跡はない。
18年3月
県道沿いの銀行、続いて線路用地を利用した駐車場を抜けると、マンション脇を流れる小川に当時の橋台跡(T参照)を確認できる。両岸とも石積だ。 T
01年1月
U その後はしばらく旧山陽道の東隣りを併走する。廃線跡は道路拡幅には利用されず、沿道の民家、店舗等に取り込まれたようだ。

やがて左手に森下(U参照)の跡地を利用した両備バスの車庫が近づく。暫定的な終点でもあったため、大きな構内を有していた。
18年3月
ここからは右急カーブで北西へと方向を変える。路盤跡は生活道路(V参照)に転用され、大きな拡幅もされずに地元で活用されている。

地図を見ると一目瞭然だが、ここから南に向い東山通まで延伸すると岡山電気軌道と接続し中心部に到達することが出来る。当初の計画もまさにその様に考えられていたが、岡山電気軌道の開通前に、なぜか無駄とも思われるV字形ルートで、街外れの後楽園に終点を変更している。
V
01年1月
W 北西に向っていた転用道路がほぼ真北に向きを変えた地点で、廃線跡は西へと別れ、再び細切れ状態となり、店舗や民家の敷地内に取込まれてしまう。しかし当時の境界線が一部に残り、ルート判別の手助けをしてくれる。

最後に大きなホテル内を通り抜けるが、この西方にコンクリート橋台(W参照)がひっそりと隠されている。
18年3月
終点後楽園(X参照)は夢二郷土美術館として生れ変わり、鉄道のにおいはすっかり消えてしまった。

ここを訪れる観光客には、その昔鉄道の出発点であったことは想像すら出来ないことだろう。
X
01年1月

 保存
Y Z
01年1月 18年3月
西大寺市駅跡の保存車両       西大寺市駅跡の旧本社屋(左)と旧財田駅舎(右)

 参考資料


 参考地形図

1/50000  岡山北部 [S34部修]    西大寺 [S24応修]    岡山南部 [S34部修]
1/25000  岡山北部 [S34資修]  岡山南部 [S34資修]  西大寺 [S29資修]

 
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最終更新日2018-4/27  無断転載禁止 Copyright (C) 2002 pyoco3 All Rights Reserved.